葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

人権は何らかの義務を果たさなければ享有できないというものではない。

人権を享有するには何らかの義務を果たさなければならない、と思っている人が少なからずいるようです。しかし、人権を享有するには何らかの義務を果たさなければならない、というのは大きな誤解です。

人権は、憲法や国家から恩恵として与えられるものでは決してなく、人間がただ人間であるということに基づいて当然に有する権利です*1。そして、人間がただ人間であるということに基づいて当然に有する権利ですから、それは何らかの義務を果たさなければ享有できないというものではありません。それに、憲法が公務員による拷問や残虐な刑罰を絶対的に禁止している(憲法36条*2)ことからもわかるように、たとえ凶悪な犯罪者であっても、後述する「公共の福祉」によって人権が制限されることはありこそすれ、人権を剥奪されるということもありません(それゆえ、人権を国家が剥奪する死刑制度は憲法違反であって廃止すべきです。*3)。

もしかすると、「公共の福祉」に沿うように人権を行使する義務を果たさなければ人権を享有することができないと思っている人もいるかもしれません。しかし、「公共の福祉」に沿うように人権を行使する義務を果たさなければ人権を享有することができない、というのも大きな誤解です。

「公共の福祉」とは、「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」です。先に述べたように、人権は誰もがただ人間であるということに基づいて当然に有するものですから、人権相互間に矛盾・衝突が生じることは避けることのできないことです。それゆえ、「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」である「公共の福祉」が必要となるのです。つまり、「公共の福祉」は、誰もがただ人間であるということに基づいて当然に有していることを前提としているのであって、「公共の福祉」に沿うように人権を行使する義務を果たさなければ人権を享有することができないというものではないのです。

このように、人権は何らかの義務を果たさなければ享有できないというものではありませんが、もし人権の享有に伴う何らかの責任があるすれば、それは「義務を果たすから、権利が保障されるのだ」などと詭弁を弄し隙あらば憲法を破壊して人民から人権を奪おうとする政権の暴政に対して抵抗する責任です。