葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチは言論の自由の範囲内ではない。

杉田水脈氏「在日ヘイトも言論」 「意見尊重を」と投稿:東京新聞 TOKYO Web

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自民党杉田水脈衆院議員は、在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチとして知られる「在日特権」論に関し、言論の自由の範囲内だとする見地から、一つの「意見」として「尊重」するよう求めた。

 

杉田水脈氏「在日ヘイトも言論」 「意見尊重を」と投稿:東京新聞 TOKYO Web

意見を持つということも、政府の葡萄酒醸造政策についてでもあったら、まだまだ承認できぬこともない。アルジェリアの葡萄酒を、自由に輸入するか否かについては、それぞれの理由も成り立とう。というのも、この場合は、物品の管理についての見解を述べるのだからである。これに反して、直ちに特定の個人を対象とし、その権利を剝奪したり、その生存を脅かしたりしかねぬ一主義を、意見などと呼ぶことは、わたしには出来ない。反ユダヤ主義者が傷けようとしているユダヤ人、それは、行政法の中にでもあるような、単にその機能によってのみ定義された図形的存在ではない。法典におけるが如く、状況と行為によってのみ規定された存在ではない。それはひとりのユダヤ人、ユダヤ人を父とし、肉体的に、髪の色や、あるいは身なりで、更に、性格によっても、識別がつくといわれるひとりのユダヤ人なのである。

 

在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチを一つの「意見」として「尊重」するよう求める自民党杉田水脈衆院議員は、憲法言論の自由を人権として保障した趣旨をまるで理解していません。

憲法言論の自由を人権として保障したのは、それが単に「自由」だからではなく、人権として憲法で保障する価値があるからです。言論の自由には、二つの大切な価値があります。一つは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値(自己実現の価値)です。もう一つは、言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)です(芦部信喜『憲法』岩波書店)。そして、これら二つの大切な価値を守ることが究極的には個人の尊厳の確保に資することから、憲法言論の自由を人権として保障したのです。このように憲法言論の自由を人権として保障した究極目的が個人の尊厳の確保にあることに鑑みると、個人の尊厳を傷つけるヘイトスピーチ憲法言論の自由を人権として保障した趣旨に悖るものであって、ヘイトスピーチ言論の自由の保障の範囲外であることは明らかです。杉田氏は在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチを一つの「意見」として「尊重」しろと言いますが、個人の尊厳を傷つける人権侵害にほかならないヘイトスピーチを「意見」などと呼ぶことは、私にはできません。在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチという人権侵害を一つの「意見」として「尊重」するよう求める杉田氏は、何よりもまず在日コリアンの人権を尊重すべきです。もし杉田氏が在日コリアンの人権を尊重していたら、杉田氏は在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチという人権侵害を一つの「意見」として「尊重」するよう求めることなど決してできないはずです。

ヘイトスピーチが個人の尊厳を傷つけるという点に関しては、「ヘイトスピーチが傷つけるのは、集団であって個人ではない」と言う人もいます。しかし、「ヘイトスピーチが傷つけるのは、集団であって個人ではない」という認識は間違っています。ヘイトスピーチが傷つけるのは、「記号的存在」としての人間ではなく、一人ひとり顔も性格も異なる生身の人間なのです。また、ヘイトスピーチ言論の自由の範囲外であるという点に関しては、「ある言論が、言論の自由の範囲内の言論であるか、それともヘイトスピーチであるか、それを国家が決めるのであれば、言論の自由が不当に侵害されかねない」と言う人もいます。たしかに、ヘイトスピーチ規制の濫用の危険性は、皆無ではありません。しかし、それは言論の自由に対する規制一般について言えるのであって、ヘイトスピーチ規制に限った話ではありませんし、言論の自由は、絶対無制限なものでは決してなく、「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」であると解される公共の福祉によって制限されるものです。そもそも、「ヘイトスピーチ言論の自由の範囲内か否か」という問いに対する答えは「言論の自由の範囲外である」または「言論の自由の範囲内である」のいずれかであって、であって、ここで「ヘイトスピーチ規制の濫用の危険性」を持ち出すのは話が飛躍しています。つまり、たとえ「ヘイトスピーチ規制の濫用の危険性」があろうと、それによって必然的にヘイトスピーチが「言論の自由の範囲外である」ことが否定されるわけではありません。それに、「ヘイトスピーチ言論の自由の範囲外である」と解しても、言論の自由の範囲外である「ヘイトスピーチ」の定義を民主的な手続によって制定される法によって厳格に定め、問題の言論が「ヘイトスピーチ」に該当するか否かの判断を独立した公平な司法機関(裁判所)に委ねればヘイトスピーチ規制の濫用を抑止することができるのですから、「ヘイトスピーチ規制の濫用の危険性」を理由にヘイトスピーチ言論の自由の範囲外であることを否定するのは妥当ではありません。先述した憲法言論の自由を人権として保障した趣旨に鑑みれば、やはりヘイトスピーチ言論の自由の範囲外であると考えるのが道理です。

憲法言論の自由を人権として保障した趣旨に悖るヘイトスピーチを一つの「意見」として「尊重」するよう求める杉田氏は、憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法第99条)国会議員としての資質に欠けると言わざるを得ません。私は、杉田氏に在日コリアンへの憎悪をあおるヘイトスピーチをただちにやめることを求めるとともに、杉田氏の一刻も早い議員辞職を求めます。