お二人の頭が“ごっつんこ”笑顔あふれる天皇ご一家 御料牧場で静養 【ご結婚30年】
天皇に肯定的な感情を持っている多くの「国民」*1にとって、「笑顔あふれる天皇ご一家」の様子は、さぞかし微笑ましいものであるに違いありません。
しかし、「天皇ご一家」の「あふれる笑顔」の裏には、なんともグロテスクな真実が隠されています。「天皇ご一家」の「あふれる笑顔」の裏に隠されたグロテスクな真実、それはすなわち「笑顔あふれる天皇ご一家」は、暴力装置の人民に対する人権侵害によって支えられている、という真実です。
2013年10月に秋田県と東京都で国民体育大会が開催された。当時の天皇皇后夫妻が競技を観戦し終え、車で帰ろうとする際、Vさんは沿道で「もう来るな W市民」とマジックで書いた横断幕を掲げた。警告書は「1人で」「平穏な態様で」と状況を記し、実力で抗議したのではないことを示す。
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ところが、申立人は、私服刑事に両腕を掴まれて待機を命じられた。その後、数十人の私服刑事に取り囲まれ、その場に拘束されたほか、質問を浴びせられたり、非難等をされたりした。申立人が、大声で抗議し続けたところ、20分ないし30分後に解放された。
尾行・監視が始まったのはその4日後だった。
たしかに、天皇制は戦後、戦前の絶対主義的天皇制から象徴天皇制へと変わりました。しかし、それでも神話という虚構に由来する天皇の権威によって人民を抑圧し支配する装置であるという天皇制の本質に何ら変わりはありません。それゆえ、天皇制を維持するためには、相変わらず暴力装置の人民に対する人権侵害が不可欠なのです。天皇制を維持するための暴力装置による人民への人権侵害は、決して過去の話ではありません。
このような人民に対する人権侵害の上に成り立つ天皇制を容認するということは、人民に対する人権侵害を容認するということです。つまり、天皇制を許容するか否かという問題は、人民に対する人権侵害を容認するか否かという人民の人権の問題であって、決して天皇のことが好きか嫌いかの問題ではないのです。それゆえ、基本的人権の尊重という人類普遍の価値に鑑みれば、たとえ多くの「国民」が「笑顔あふれる天皇ご一家」に好感を持っていようと(もっとも、そもそも多くの「国民」が「笑顔あふれる天皇ご一家」に好感を持つような状況を作り出しているのは、冒頭に掲げたような天皇制に奉仕する御用メディアが垂れ流す天皇制賛美のプロパガンダなのですが)、人民に対する人権侵害の上に成り立つ天皇制は廃止すべきなのです*2。多くの「国民」が天皇に肯定的な感情を持っているということは、天皇制の人民に対する人権侵害を正当化する理由には決してなりません。
*1:天皇陛下に7割が肯定的感情 退位制度化は意見割れる 毎日新聞世論調査 | 毎日新聞
*2:天皇制廃止論者の中には、天皇制について「天皇や皇族の人権を侵害するものだから、天皇制は廃止されるべきである」と考える人も少なからず見受けられます。たしかに、個人としての天皇や皇族の人権は、天皇制によって制約されています。しかし、それは人民を差別・抑圧して支配する天皇制を維持するためです。つまり、天皇制の目的は人民を差別・抑圧して支配することであり、個人としての天皇や皇族の人権に対する制約は、(天皇制国家にとって)天皇制の目的を実現するための「必要悪」なのです。それゆえ、天皇制廃止の議論においては、何よりも「天皇制に差別・抑圧される人民の人権」を考えるべきです。天皇制廃止の目的は何よりも「人民を天皇制の支配から解放すること」であり、これによって天皇や皇族が天皇制から解放されたとしても、それは人民が天皇制の支配から解放されたことの反射的効果にすぎません。