葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「容疑者」という言葉は、犯罪者の烙印ではない。

伊藤詩織さん、書類送検…元TBS記者が虚偽告訴などで刑事告訴 - 弁護士ドットコム

 

元TBS記者に性的暴行を受けたと訴えた民事裁判で勝訴した*1ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者に虚偽告訴などで刑事告訴され(腹いせとしか思えませんが……)書類送検されたことで、ここぞとばかりにネット右翼たちが伊藤さんを「容疑者」呼ばわりして誹謗中傷しています。

ネット右翼たちは、伊藤さんを「容疑者」呼ばわりすることで、伊藤さんがあたかも犯罪者であるかのような印象を世間に広めたいのでしょう。しかし、彼らは大きな勘違いをしています。すなわち、「容疑者」(法律用語としては「被疑者」)という言葉は、犯罪者の烙印ではないということです。

刑事裁判では、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、裁判で有罪が確定するまでは「罪を犯していない人」として扱わなければなりません。これを無罪推定の原則といいます。無罪推定の原則は、世界人権宣言(11条1項)*2国際人権規約(14条2項)*3に定められている、近代司法の大原則です。

無罪推定の原則に鑑みれば、たとえ書類送検されようと、伊藤さんは犯罪者ではありません(そもそも、虚偽告訴での刑事告訴自体が言いがかりとしか思えませんが……)。しかるに、ネット右翼たちが、伊藤さんを「容疑者」呼ばわりすることで、伊藤さんがあたかも犯罪者であるかのような印象を世間に広めようとするのは、まさに無知の極みです。

もっとも、「容疑者」という言葉を犯罪者の烙印だと誤解しているのは、ネット右翼だけではないかもしれません。「容疑者」が、無罪推定の原則にもかかわらず、あたかも有罪であるかのように社会的に強い非難を浴びせられることからも分かるように、日本社会には「容疑者=犯罪者」という誤解が根強くはびこっています。これに関しては、マスメディアにも責任の一端があると思います。マスメディアは、「容疑者=犯罪者」という誤解を助長しないよう、無罪推定の原則を踏まえた報道に徹するべきです。