あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「護憲」とは、つまりは人権を守ることである。

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「護憲」という言葉は、「改憲」という言葉との対比で「憲法を変えないこと」という意味で使われることが多いです。たしかに、例えば憲法9条に関していえば、「憲法を変えないこと」が「護憲」であることに間違いはありません。しかし、それは憲法9条を変えるべきではない理由があるからこそ、「憲法を変えないこと」が「護憲」なのであって、「護憲」という言葉の意味が「憲法を変えないこと」だからではありません。つまり、憲法を変えるべきでない理由こそが、「護憲」の本質的な意味なのです。

それでは、「護憲」の本質的な意味は何か。思うに、それは人権を守ることです。なぜなら、憲法は個人の尊厳を確保することを究極の目的とするものであって、その憲法を護ることで、個人の尊厳に由来する基本的人権が守られるからです。

憲法の目的という点に関しては、「憲法は安倍のような横暴な権力者から国を守り、国民を守るためにある」という言説を目にしたことがあります。たしかに、憲法が国家権力を縛るものであることは間違いありません。しかし、それはあくまでも人権を守るためであって、国を守るためではありません。そのことは、国を守るために人権が犠牲にされてきた歴史に鑑みれば、容易に分かるでしょう。また、人権は「人種、性、身分等の区別に関係なく、人間であれば当然に享有できる権利」であって(人権の普遍性)、「国民」であることによってはじめて保障される権利ではありません。それゆえ、「憲法が国民を守るためにある」というのも大きな誤解です。この点に関して、日本国憲法11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は……」というように規定していますが、しかしながら「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」と解するのが判例・通説です。もっとも、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は……」という規定は、人権が「人種、性、身分等の区別に関係なく、人間であれば当然に享有できる権利」であることと矛盾するのですから、改めるべきでしょう。このような憲法改正は、「護憲=人権を守ること」のための憲法改正であって、「護憲」が憲法を全く変えないことではないというのが分かるかと思います。

「護憲」が憲法を全く変えないことではないということに関して、もしかすると「それならば、なぜ憲法9条を変えようとしないのか。憲法9条に関しても、『護憲のための憲法改正』をするべきだ」と言う人もいるかもしれませんが、そのようなことを言う人は、残念ながら「護憲」の本質的な意味を理解していません。さきほど、私は「護憲の本質的な意味は、人権を守ることである」と言いましたが、憲法9条に関していえば、人権を守るためには、憲法9条を変えてはならないのです。このように言うと、「他国の侵略から国民の人権を守るためにも、憲法9条の改正が必要だろうが」という批判を頂戴するかもしれません。しかし、そのような批判は憲法9条の趣旨を誤解しています。憲法9条の趣旨は、「他国の侵略から国民の人権を守る」ことではなく、過去に日本が犯した侵略戦争という人権侵害を反省し、日本が戦争を放棄することで、普遍的に人権を守ることにあります。このことは、日本国憲法が前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と規定していることからも明白です。つまり、「国民の権利」ではない、普遍的な人間の権利である人権を守るためには、日本が戦争を放棄することを宣言した憲法9条を変えてはならないということです。

以上で、「護憲」が単に「憲法を変えないこと」ではないということが、おわかりいただけたかと思います。私は「護憲派」を自認する者ですが、自民党政権による「改憲」ならぬ「懐憲」に抵抗するためにも、私たち「護憲派」は、「何のために憲法を護るのか」を常に考えることを怠ってはなりません。