あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「外国語」を学ぶ意義についての私論

私は今、独学で韓国語を勉強しています。それは決して、「ビジネスに役立つから」ではありません。よく、「◯◯語なんて勉強しても役に立たないから、英語を勉強した方が良い」という言説を耳にします。しかし、私はそのような言説には賛同できません。おそらく、「役に立つ」というのは「ビジネスの役に立つ」という意味なのでしょうが、それを絶対視する風潮には疑問を感じます。

たしかに、「合理性」や「有用性」は人間が死なないために大切なものだと思います。しかし、そういった「ものさし」を絶対視してしまうと、人間が生きるために大切なものを見失ってしまうのではないでしょうか。

そうして、「外国語」を学ぶことは、「自由な人間」として生きるために必要なことであると、私は思います。つまり、「母国語」という〈権力〉に支配されて社会生活を送っている私たちが、その支配から逃走し「自由な人間」として生きるためには、母国語でコミュニケーションを図り、母国語で思考するのと並行して、外国語でコミュニケーションを図り、外国語で思考することが必要なのではないか、そう思うのです。

そもそも、「ビジネスに役立つから」といって、それは本当に私自身の「利益」になるものなのでしょうか。もちろん、「報酬」や「賃金」という形で、私も「分け前」にあずかることができるでしょう。しかし、それは本当に「正当な分け前」であるといえるでしょうか。

こうして考えてみると、「ビジネスに役立つから」などという理由は、どうにも胡散臭く私には感じられます。そうだとすれば、たとえ世間一般で「◯◯語なんて勉強しても役に立たない」などと言われていようとも、そんなことは気にせずに自分の興味のある「外国語」を勉強するのがいちばんだと思います。