葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本はもはや世界屈指の軍事大国である。

世界の軍事費約378兆円、過去最高に ウクライナは前年比51%増:朝日新聞デジタル

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日本は11%増の502億ドルで前年の9位から10位となった。

 

世界の軍事費約378兆円、過去最高に ウクライナは前年比51%増:朝日新聞デジタル

日本は、戦後一貫して平和国家としての道を歩み、アジア太平洋地域や国際社会の平和と安定を実現してきています。日本の安全保障政策は、この歩みの延長上にあります。

 

日本の平和国家としての歩み|外務省

「平和国家」を自称する日本ですが、軍事費ランキング世界第10位の国がはたして本当に「平和国家」だと言えるのでしょうか。軍事費ランキング世界第10位の日本は、どう考えても「平和国家」ではなく世界屈指の軍事大国です。

膨大な軍事費を正当化する人たちは「中国の脅威から我が国を守るためには、『防衛力』の抜本的強化と『防衛費』の増額が必要なのだ」と言うでしょうが、それは詭弁です。昨今の日本の軍事力強化とそれに伴う軍事費の増額は実のところ、2015年に戦争法が強行制定された*1ことによって「集団的自衛権」の名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになった*2日本が、米国主導の東アジア国際秩序すなわち米国の東アジアにおける覇権を守るための戦争を米国と共に遂行するために必要なものです。つまり、自衛のための必要最小限度の実力を保持する*3ためではなく、米国主導の東アジア国際秩序すなわち米国の東アジアにおける覇権を守るための戦争を米国と共に遂行するのに必要な戦力を保持するためだからこそ、世界第10位の膨大な軍事費を必要とするのです。

左派やリベラル派の中には、「世界に誇る平和国家としての道を歩んできた日本が、安倍政権以降軍事大国へと急激に変貌してしまった」と思っている人も多いでしょう。たしかに、戦争法の制定が強行され日本が米国の侵略戦争に参加できるようになったのは安倍政権の時です。しかし、日本は安倍政権以降「平和国家」から軍事大国へと急激に変貌したのでは決してありません。戦後日本は、米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることを通じて「国体」を護持する(天皇制国家体制を維持する)道を選び*4、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず「安全保障」に名を借りた軍事同盟を結んで米国主導の東アジア国際秩序すなわち米国の東アジアにおける覇権を守るための米国の侵略戦争に加担して暴利をむさぼってきました。そうして世界屈指の「経済大国」となった日本は1980年代の後半から今日まで、米国の東アジアにおける覇権を守るために日本に対してさらなる協力を求める米国の期待に応えるべく、「防衛力の強化」に名を借りた軍事力の増強を続けてきました。つまり、今日の日本の軍事大国化は、戦後日本の「平和憲法」をないがしろにした戦争加担と軍事力増強の歩みの延長上にあるのです。それを考えると、今日の日本の軍事大国化については「安倍政治」を問うだけでは足りず、「戦後日本の平和主義」そのものを問い直す必要があります。

左派やリベラル派の多くは「安倍政権に汚される前の戦後日本は、他国から尊敬される平和国家であった」と思っているでしょう。しかし、先述したように戦後日本が「平和憲法」をないがしろにして米国の侵略戦争に加担し、戦争の血で汚れたカネで軍事力の増強を続けてきたことを考えると、戦後日本が「他国から尊敬される平和国家であった」というのは残念ながら幻想です。戦後日本の左派やリベラル派にとって「戦後日本は他国から尊敬される平和国家であった」というのは自尊心の拠り所なのかもしれませんが、だからといって「戦後日本は他国から尊敬される平和国家であった」という幻想に縋っていては、いつまでたってもわれわれ人民の手で日本軍国主義を解体して日本を真の平和国家にすることはできないでしょう。つまり、日本軍国主義を解体して日本を真の平和国家にするためには、まず「戦後日本は他国から尊敬される平和国家であった」という幻想を捨て、日本軍国主義が「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえているという現実を正しく認識しなければならないのです。言うまでもなく、それは決して日本国憲法の平和主義の理念を捨てることではありません。「戦後日本は他国から尊敬される平和国家であった」という幻想を捨てて日本軍国主義が「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえているという現実を正しく認識することは、今日の日本が「平和国家」ではなく世界屈指の軍事大国であるという現状を追認することでは決してなく、そのような現状を変えて日本国憲法の平和主義の理念を真に実現するためのものなのです。

*1:戦争法案 強行採決

*2:「集団的自衛権」が実行可能段階に 安保法成立7年 米軍と初の実動訓練、識者は「権力の暴走」を懸念:東京新聞 TOKYO Web

*3:防衛省・自衛隊:憲法と自衛権

*4:敗戦後、「国体護持」(=天皇制国家体制の維持)に腐心する昭和天皇ヒロヒトは、米国を主体とするGHQ連合国軍総司令部)による対日占領政策の実現に積極的に協力し、戦後日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって「国体護持」という悲願を達成しました。「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟も、昭和天皇ヒロヒトが己の保身のために天皇制国家体制を米軍に守ってもらうことを望んだ結果の産物なのです。

米軍と日本軍「自衛隊」の連携強化の本当の問題点は何か

岸田首相「自衛隊は米軍下に置かれない」 日米指揮統制の連携強化で:朝日新聞デジタル

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岸田文雄首相は18日の衆院本会議で、日米首脳会談で確認した両国の部隊運用に関わる「指揮統制」の連携強化をめぐり、「米軍の事実上の指揮統制の下に自衛隊が置かれることはない」と述べた。米国が圧倒的な装備や情報力を持つ中、日本の指揮権の独立性を担保できるかを野党側がただしたのに対し、答えた。

 

岸田首相「自衛隊は米軍下に置かれない」 日米指揮統制の連携強化で:朝日新聞デジタル

岸田首相がバイデン米大統領と合意した米軍と日本軍「自衛隊」の連携強化については、自衛隊と米軍の指揮統制の連携強化で日本軍「自衛隊」が米軍指揮下に入ることを懸念する声が多く聞かれます。そういった懸念の声に対して、岸田氏は「米軍の事実上の指揮統制の下に自衛隊が置かれることはない」と述べていますが、しかし、米軍と日本軍「自衛隊」の連携強化の問題は、日本軍「自衛隊」が米軍指揮下に入ることがなければそれで良いという話では決してありません。

仮に「米軍の事実上の指揮統制の下に自衛隊が置かれることはない」というのが本当だとしても、日本軍「自衛隊」が米軍とともに「集団的自衛権」の名の下に米国のアジア・太平洋における覇権を守るための侵略戦争に参加することは、憲法9条に違反し決して許されるものではありません。多くの左派やリベラル派が、加速する米軍と日本軍「自衛隊」の一体化で日本が米国の軍事行動に巻き込まれることを懸念しますが*1、日本は決して米国の軍事行動に「巻き込まれる」のではありません。戦後の日本は、米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることを通じて「国体」を護持する(天皇制国家体制を維持する)道を選び*2、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず「安全保障」に名を借りた軍事同盟を結んで米国主導の東アジア国際秩序を守るための米国の侵略戦争に加担して暴利をむさぼってきました。そしていまや世界有数の軍事大国となった*3日本は、米国主導の東アジア国際秩序の維持・発展へのさらなる貢献を果たすべく、「平和憲法」があるにもかかわらず戦争法を強行制定して*4集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようにしました*5。岸田政権が固執する敵基地攻撃能力の保有*6も、日本が「集団的自衛権」の名の下に米国主導の世界経済体制を守ることを目的とする米国の侵略戦争に参加する上で必要となるものです。つまり、日本は米国の軍事行動に「巻き込まれる」のではなく、米国の同盟国として米国主導の東アジア国際秩序すなわちアジアにおける米国の覇権を守るための米国の軍事行動に主体的かつ積極的に参加するのです。

こうしたことからわかるように、米軍と日本軍「自衛隊」の連携強化の本当の問題点は、「安全保障政策上の主体的な判断の余地が全くなくなる可能性さえ予期される」*7ことではなく、日本が米国の同盟国として憲法9条があるにもかかわらず「集団的自衛権」の名の下に米国のアジアにおける覇権を守るための侵略戦争に主体的かつ積極的に参加することなのです。それゆえ、もはや「いつでも戦争ができる国」となった日本を米国の侵略戦争に参加させないためには、何よりもまず日本軍「自衛隊」が米軍とともに「集団的自衛権」の名の下に米国のアジア・太平洋における覇権を守るための侵略戦争に参加することを可能ならしめた戦争法を廃止し、究極的には「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟を解消しなければなりません。

*1:加速する米軍と自衛隊の一体化 アメリカの戦争に引き込まれる恐れは 安全保障関連法施行8年:東京新聞 TOKYO Web

*2:敗戦後、「国体護持」(=天皇制国家体制の維持)に腐心する昭和天皇ヒロヒトは、米国を主体とするGHQ連合国軍総司令部)による対日占領政策の実現に積極的に協力し、戦後日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって「国体護持」という悲願を達成しました。「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟も、昭和天皇ヒロヒトが己の保身のために天皇制国家体制を米軍に守ってもらうことを望んだ結果の産物なのです。

*3:2024 Japan Military Strength

*4:戦争法案 強行採決

*5:安保法:29日施行 集団的自衛権行使が可能に | 毎日新聞

*6:敵基地攻撃能力を明記、安保3文書を閣議決定 戦後防衛政策の大転換:朝日新聞デジタル

*7:「主体的判断、余地なくなる」 自衛隊と米軍の連携強化、学者が批判:朝日新聞デジタル

「成熟した日米関係」を考える上で避けて通れない問題

(日曜に想う)「成熟した日米関係」を考える 編集委員・佐藤武嗣:朝日新聞デジタル

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「米国の押しつけだ」と憲法改正を唱える保守を自任する政治家や論客が、敗戦国で最も「非対等」な日米地位協定の改定をなぜ口にしないのか。

[……]

政府・自民党の外交は、いかに米国に「使い勝手のよい」日本になるかに腐心してやいないか。対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を「どう使うか」という議論がなぜ聞こえてこないのか。

 

(日曜に想う)「成熟した日米関係」を考える 編集委員・佐藤武嗣:朝日新聞デジタル

戦後日本の「対米従属関係」を甘受する保守派や自民党政権への不満を漏らす「リベラル紙」の朝日新聞にとって、「成熟した日米関係」とは「対米従属関係」を脱却した「対等な日米関係」なのでしょう。

たしかに、戦後日本の「対米従属関係」は「主権国家」同士の本来あるべき関係ではないでしょう。ただ、「対米従属関係」といっても、それは朝日新聞をはじめ多くのリベラル派が考えているような米国が日本を一方的に利用するものではありません。

「米国の押しつけだ」と憲法改正を唱える保守を自任する政治家や論客が、敗戦国で最も「非対等」な日米地位協定の改定をなぜ口にしないのか。それは、本来戦犯として裁かれるべき昭和天皇ヒロヒトが己の保身のために天皇制国家体制を米軍に守ってもらうことを望んだ*1という、保守を自任する政治家や論客にとって「不都合な真実」が存在するからです。保守派のみならずリベラル派も触れたがりませんが、敗戦後「国体護持」(=天皇制国家体制の維持)に腐心する昭和天皇ヒロヒトは、米国を主体とするGHQ連合国軍総司令部)による対日占領政策の実現に積極的に協力し*2、戦後日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって「国体護持」という悲願を達成しました。つまり、戦後日本の「対米従属関係」は、昭和天皇ヒロヒトが己の保身と「国体護持」のために米国を利用した結果の産物なのです。朝日新聞は「政府・自民党の外交は、いかに米国に『使い勝手のよい』日本になるかに腐心していやしないか。対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を『どう使うか』という議論がなぜ聞こえてこないのか」と不満を漏らしますが、日本が戦後も天皇制国家体制とアジア・太平洋地域における影響力を維持するためにアメリカ帝国主義をしたたかに利用しているからこそ、その代償として「米国に『使い勝手のよい』日本になる」ことが求められるのです。

こうしてみると、昭和天皇ヒロヒトの戦争責任と天皇制の存廃が「成熟した日米関係」を考える上で避けて通れない問題であることがわかります。つまり、「対米従属関係」を脱却した「対等な日米関係」を構築するために必要なのは、朝日新聞が言うような「対立と協力が複雑に絡む国際情勢で日本の国益を見定め、米国を『どう使うか』という議論」云々ではなく、何よりもまず戦後日本の米国に対する「負債」を清算すること、すなわち日本が自らの手で昭和天皇ヒロヒトの戦争責任を追及して天皇制を廃止することなのです。

*1:“ここで天皇は痺れを切らしたかのように、「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と”本筋“に切り込んだ。”(豊下楢彦昭和天皇マッカーサー会見』岩波現代文庫  98頁)

*2:「象徴天皇制」のどす黒い正体 ヒロヒトは自分の延命と天皇制存続のためマッカーサーに工作 革命と共産主義への恐怖が根底にあった - 週刊『前進』

日本軍「自衛隊」は旧日本軍と本質的に変わらない。

「大東亜戦争」陸自部隊の公式アカウントがSNS投稿 反省が薄れている? 自衛隊幹部は靖国に参拝も:東京新聞 TOKYO Web

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日本国民の多くは「『自衛隊』は旧日本軍と断絶している」と信じて疑わないようです。日本の代表的な「リベラル紙」である朝日新聞も、自衛隊幹部らによる靖国参拝問題について論じた社説で「自衛隊」を「侵略戦争と植民地支配という戦前の『負の歴史』への反省を踏まえ、平和憲法の下で新たに組織された」ものだと述べています*1

たしかに、「自衛隊」は旧日本軍との断絶を建前としていますし、「戦後の日本は他国から尊敬される平和国家に生まれ変わった」という「新たな神話」を自尊心の拠り所とする戦後日本のリベラル派も「旧日本軍との断絶」という建前を信じたいのでしょう。しかし、残念ながらその建前は「自衛隊」の実体を覆い隠す「隠れ蓑」にすぎません。

自衛隊」の前身である警察予備隊は、アメリカの冷戦政策上の必要性から米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれた戦後日本の再軍備の第一歩として創設されたものであり*2、こうした経緯に鑑みれば、「自衛隊」の第一次的な役割は米国主導の東アジア国際秩序すなわち東アジアにおける米国の覇権を守ることだといえます。
そもそも戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれたのは、日本が米国に敗戦したからであることはいうまでもありませんが、単にそれだけではなく、昭和天皇裕仁と支配層が固執した「国体護持」(=天皇制の維持)*3を戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることによって達成したからです。このことと先に述べた「自衛隊」の第一次的な役割をあわせて考えると、「自衛隊」の究極目的は米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守ることであるといえます。つまり、「自衛隊」は天皇制国家を守るための軍隊であるという点で旧日本軍と本質的に変わらないのです。だからこそ、「自衛隊」は日本軍国主義の象徴である「旭日旗*4を臆面もなく掲げ、天皇の国のために戦争で死ぬことを顕彰する施設である靖国神社に組織的に参拝し*5、「大東亜戦争」という日帝のアジア侵略と植民地支配を正当化する呼称を平気で使い*6SNS戦没者追悼式を紹介する投稿に「大東亜戦争」という用語を使った部隊が「(天皇を守る)近衛兵の精神を受け継いだ部隊」を自称する*7のです。

このように、「自衛隊」は旧日本軍と本質的に同じであって天皇の国のために殺し殺されることを究極目的とするれっきとした軍隊であり、天皇制国家が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」とは敵対的に矛盾するものです。それゆえ、戦後の日本が本当に平和国家に生まれ変わることを日本国民が望むのであれば、日本国民がすべきことは「『自衛隊』は旧日本軍と断絶している」と信じて疑わないことではなく、旧日本軍と本質的に変わらない日本軍「自衛隊」の実体を直視し、「平和憲法」とは敵対的に矛盾する日本軍「自衛隊」を解体することです。そして究極的には、天皇の国のために殺し殺される軍隊を必要とする天皇制を廃止するべきです。

日本は米軍と日本軍「自衛隊」の一体化によって「アメリカの戦争に引き込まれる」のではない。

加速する米軍と自衛隊の一体化 アメリカの戦争に引き込まれる恐れは 安全保障関連法施行8年:東京新聞 TOKYO Web

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集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法が施行されてから29日で8年となった。自衛隊幹部が米国製巡航ミサイル「トマホーク」を米軍と情報共有して敵基地攻撃に使う可能性に言及するなど軍事的な一体化は加速。4月の日米首脳会談では米軍と自衛隊の指揮統制の連携強化で合意する方針だが、強大な米軍の影響力で自衛隊の指揮権の独立性が損なわれ、日本が米国の軍事行動に巻き込まれる懸念は消えない。

 

加速する米軍と自衛隊の一体化 アメリカの戦争に引き込まれる恐れは 安全保障関連法施行8年:東京新聞 TOKYO Web

米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化に関して、それを批判する日本国民からは「アメリカの戦争に引き込まれる」ことを懸念する声が多く聞かれます。

たしかに、米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化によって日本軍「自衛隊」はアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」で米軍と軍事的行動を共にすることになるでしょう。しかし、それは決して「アメリカの戦争に引き込まれる」のではありません。

戦後日本は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず、1950年に再軍備の第一歩を踏み出し*1、「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)、イラク戦争(2003~11年)といった「アメリカの戦争」に加担して暴利をむさぼってきました。そして、いまや世界有数の軍事大国となった*2日本は、戦争法*3が制定されたことによって、「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになり*4、アジアにおけるアメリカの覇権を守るための対中国戦争、あるいは対朝鮮民主主義人民共和国DPRK)戦争に向けた準備を盟主である米国と共に着々と進めています*5。岸田政権が固執する敵基地攻撃能力の保有*6も、日本が「集団的自衛権」の名の下に米国主導の世界経済体制を守ることを目的とする米国の侵略戦争に参加する上で必要となるものです。つまり、日本は「アメリカの戦争に引き込まれる」のではなく、米国の同盟国としてアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのです。

このように日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのは、戦後の日本が米国主導の東アジア国際秩序に組み込まれることを通じて「国体」を護持する(天皇制国家を維持する)道を選んだからであり、また、米国主導の東アジア国際秩序を守ることが日本の権力層や経済的支配層の利益を守ることにつながるからです。つまり、日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦するのは、天皇制国家・日本の権力層や経済的支配層の利益を守るためなのです。「アメリカの戦争に引き込まれる」ことを懸念する日本国民は、そうした日本の権力層や経済的支配層の利益を守るための戦争で日本軍「自衛隊」に殺されるであろう人たちの姿を想像する必要があります。

日本国民が米軍と日本軍「自衛隊」の軍事的な一体化に反対しなければならないのは、日本が「アメリカの戦争に引き込まれる」からではなく、日本が米国の同盟国としてアジアにおける米国の覇権を守るための「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦すれば日本は再び戦争加害者になるからです。憲法9条は、日本が戦争被害者にならないための「お守り」ではなく、日本が過去のアジア侵略戦争を反省して再び戦争加害者にならないことを誓うものです。日本国民は、そのことを改めて認識し、これまでないがしろにされてきた憲法9条を政府に遵守させなければなりません。そして、先に述べた日本が「アメリカの戦争」に主体的かつ積極的に参戦する理由に鑑みれば、米国主導の東アジア国際秩序を守るための「安全保障」に名を借りた日米軍事同盟を解消し、米国主導の東アジア国際秩序を守ることを通じて天皇制国家を守るための軍隊である日本軍「自衛隊」を解体して、究極的にはその根底にある天皇制を廃止するべきです。

憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁に断固抗議する。

次期戦闘機の第三国への輸出解禁、政府が決定 安保政策の転換点 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

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政府は26日午前の国家安全保障会議NSC)で、武器輸出を制限している防衛装備移転三原則の運用指針を改定し、英国、イタリアと国際共同開発中の次期戦闘機の第三国への輸出を解禁した。「殺傷能力のある武器の最たるもの」(自民議員)と位置づけられる戦闘機の輸出解禁は、武器輸出を厳しく制限してきた日本の安全保障政策の大きな転換となる。

 

次期戦闘機の第三国への輸出解禁、政府が決定 安保政策の転換点 [岸田政権]:朝日新聞デジタル

政府与党自らが「殺傷能力のある武器の最たるもの」と位置づける次期戦闘機の輸出解禁は、まさしく「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(日本国憲法前文)である平和的生存権を脅かすものであり、憲法の平和主義に反する暴挙であると言わざるを得ません。

政府は、「歯止め策」として「輸出先は『防衛装備品・技術移転協定』の締結国など、輸出した武器を侵略に使わないなどとする国際約束を日本と結んだ国に限る」としています。しかし、これまでに多くの侵略戦争が「集団的自衛権」の名の下に行われてきたこと、そして日本も「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」の名の下に*1世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に参加しようとしていることに鑑みれば、「歯止め策」の実効性は甚だ疑問です。

憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁が閣議決定で行われたことは、憲法に縛られるはずの政府が独断で憲法を乗り越えるという独裁的な暴挙であり、もちろん言語道断です。もっとも、次期戦闘機の輸出解禁は、先に述べたように平和的生存権という人権の問題ですから、「国民的議論」*2を経れば許されるというものでは決してありません。

さて、今般の次期戦闘機の輸出解禁については、「平和国家の信頼を損なう」あるいは「日本は『死の商人』になるのか」といった声も多く聞かれます。しかし、はたして「戦後日本」は、本当に「平和国家」なのでしょうか。あるいは、本当にこれまで「死の商人」ではなかったのでしょうか。「戦後日本」は、日本が犯した侵略戦争への深い反省に基づく「平和憲法」があるにもかかわらず、「朝鮮特需」*3や「ベトナム特需」*4という言葉があることからもわかるように朝鮮戦争(1950年~)やベトナム戦争(1960~75年)といった「米国の戦争」に加担し、皮肉にも「平和憲法」のおかげで自らの手を血で汚すことなく暴利をむさぼってきました。そして、「平和憲法」があるにもかかわらず戦後の「平和国家」日本が加担してきた「米国の戦争」では、「平和憲法」があるにもかかわらず日本が生産し、供給した殺傷武器が使われ(ベトナム戦争で使用されたナパーム弾の9割が日本製だと言われています。)、それによって数多くの市民の命が奪われました。今般の次期戦闘機の輸出解禁は、こうした「平和憲法」をないがしろにした「戦後日本」による「米国の戦争」への加担の延長線上にあるものであって、それは「平和国家」が軍国主義に急旋回したということでも死の商人に成り下がったということでもないのです。もちろん、「平和憲法」それ自体はかけがえのない素晴らしいものです。しかし、先述したように、「戦後日本」が「米国の戦争」に加担して暴利をむさぼってきたこと、そして、いまや世界有数の軍事大国となった*5「戦後日本」が戦争法*6の制定によって「平和憲法」があるにもかかわらず「集団的自衛権」に名の下に世界最強の軍事力を誇る唯一の軍事超大国である米国の侵略戦争に同盟国として参加できるようになったことに鑑みれば、残念ながら戦後の日本が軍国主義と決別したとは到底いえず、皮肉なことにかけがえのない素晴らしい「平和憲法」が日本軍国主義の隠れ蓑になってしまっているのです。

先にも述べたように、「平和憲法」があるにもかかわらず「戦後日本」が生産し、供給した殺傷武器は、朝鮮戦争ベトナム戦争といったこれまで「戦後日本」が加担してきた「米国の戦争」で、数多くの市民の命を奪ってきました。今般の次期戦闘機の輸出解禁を許容すれば、これまで自称「平和国家」によってないがしろにされ形骸化してきた「平和憲法」はますます形骸化し、日本は同じ過ちを際限なく繰り返すことになるでしょう。「平和国家」を隠れ蓑にして今も生きながらえている日本軍国主義に終止符を打ち、日本を「平和憲法」を持つにふさわしい真の平和国家にするためには、憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁を断じて許してはなりません。私は、憲法の平和主義に反する次期戦闘機の輸出解禁に断固として抗議します。

民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていない。

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

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社民党副党首の大椿裕子参院議員が23日、自身のX(旧ツイッター)を更新。「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」と持論を展開した。

[……]

こうした大椿議員の持論には、さまざまな意見が寄せられた。「学がない連中はこのポストが正しいことなのが理解できないですよ」などの賛同意見も見られたが、「国家公務員法の否定ですか」「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」などと反発する意見も多く見られた。

 

社民党・大椿副党首「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違い」と持論展開 賛否の意見殺到/芸能/デイリースポーツ online

後述する民主主義の本質に鑑みれば、大椿ゆうこ参議院議員の「日本国籍の人のためだけに政治があると思っているところが間違いです」という言説は何も間違っていません。むしろ間違っているのは、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という言説、そして、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況、すなわち日本国籍ではない人たちが民主主義システムから疎外されている状況です。

民主主義の本質は「治者と被治者の同一性」すなわち治める者と治められる者が同一であることです。そして、日本国籍ではなく外国籍であっても「永住者」あるいは「定住者」であれば被治者なのですから(納税など日本国籍者と同様の公的義務を負う「永住者」あるいは「定住者」は、間違いなく被治者です。)、治者として政治に参加する権利を当然に有するのです。それゆえ、本当に日本が民主主義の国であるならば、日本国籍であるかどうかに関係なく治者かつ被治者である人民のために政治があるべきなのです。さらに言うと、民主主義の目的が究極的には個人の基本的人権を確保することであることに鑑みれば、民主主義政治は、日本社会のマイノリティとして人権を侵害されることが日本国籍者よりもはるかに多い「永住者」あるいは「定住者」である外国籍市民のためはもちろん、人権の普遍性にもかかわらず人権保障から疎外されている非正規滞在者のためにもあるべきものなのです。

もしかすると、「日本は『国民主権』の国だから、日本国籍の人のためだけに政治がある」と思っている人もいるかもしれません。しかし、「国民主権」の本質的な意義は君主が主権を持たず人民が主権を持つ点にあるのであって、かかる意義からすれば本来的に主権者を日本国籍者に限るべき理由はありません。それゆえ、日本が「国民主権」の国だからといって、日本国籍の人のためだけに政治があるというわけではないのです。

大椿議員の言説に対して「日本国籍の日本人の益(原文ママ)の為に、その代表として日本国の政治を担うんじゃないのか?」と反発する意見は、「学がない」云々ではなく、つまるところ外国人差別や排外主義の発露です。それゆえ、「日本国籍の人のためだけに政治がある」という間違った言説を正すためには、そのような間違った言説を生み出す日本の民主主義システムの状況を変えること*1はもちろんのこと、それと同時に外国人差別や排外主義がはびこる日本社会を変えること*2が必要不可欠です。