あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

日本という国は「HINOMARU」を拝まなければ愛せないものなのだろうか。

RADWIMPSの新曲、軍歌のよう?歌詞めぐり議論に
朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL6D42L6L6DUCVL006.html

 

作詞者である野田洋次郎氏は、ライブで「HINOMARU」を披露した後、「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と叫んだそうです。

思うに、別に自分の生まれた国を好きなのは構いません。しかし、はたして「自分の生まれた国」というものは、天皇や日の丸を崇拝し、あるいは天皇や日の丸を崇拝しない人を排除しなければ愛せないものなのでしょうか。残念ながら、どうやら「日本」という「国民国家」では、天皇や日の丸を崇拝しなければ「国」を愛しているとは認めてもらえないようです。そうだとすると、天皇や日の丸を崇拝しなければ愛することのできない「国」とは、いったい何なのでしょうか。そのような「国」を愛することに、いったいどのような意味があるのでしょうか。

天皇や日の丸を崇拝しなくても、さらに言えば、天皇や日の丸を崇拝することを拒否しても、「日本」と呼ばれる、自分の生まれたこの列島に愛着(誤解のないようにお断りしておきますが、私がここで言う「(「日本」と呼ばれる、自分の生まれたこの列島への)愛着」とは、「郷土の伝統や文化を愛する心情」といったものではありません。)を持つ人はいます。野田氏や「HINOMARU」を支持する彼のファンには、自分の生まれたこの列島にはそのような人もいることを、ぜひ知っていただきたいと思います。そして、「HINOMARU」の歌詞の意味を、今一度よく考えてもらいたいと思います。

なお、私は野田氏や「HINOMARU」を支持する彼のファン、あるいは「ネット右翼」の「愛国」が、偽りのものであるか否かを議論するつもりはありません。なぜなら、「日本」という「国」が今の「日本」という「国」のままであるかぎり、誰が愛したとしても同じだからです。正直なところ、私は「愛国者」のヘゲモニー争いに、いささか辟易しています。