あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「〈反日/親日〉二分法的思考」は、もうやめよう。

「まるで戦争」 静かなレストラン一転 ダッカ襲撃事件:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASJ725W3VJ72UTIL026.html

まずはじめに、今回の事件で亡くなられた全ての方々に、深く哀悼の意を捧げます。

さて、この事件の報道に関して、違和感を覚えたことが一つあります。それは、「親日国なのに、こんなひどいことが起こるなんて信じられない」という「日本人」の声や、マスコミの論調について、です。

どうして、彼らはこれまで「親日国ならばこんなひどいことは起こらない」と信じて疑わずにきたのでしょうか。私は、むしろそのことのほうが信じられません。

誤解していただきたくないのは、私は「親日国でも危険な目に遭う時は遭う」とか「反日国でも危険な目に遭うとは限らない」などと言いたいのではありません。私が言いたいのは、そもそも〈反日親日〉という概念それ自体がナンセンスである、ということです。

反日親日〉という概念そのものが、他者を自己より劣位に置く傲慢で愚かなものですが、それはまた、硬直化した二分法的思考による認識の歪みという弊害をもたらします。「親日国ならばこんなひどいことは起こらない」などというのは、まさしくこの弊害であるといえるでしょう。

前述の〈反日親日〉という概念の性質に鑑みれば、「親日」なる客体に対する優位な主体のまなざしは、気まぐれで憎悪に満ちたものへと豹変する危険を孕んだものであるといえます。現にネット上では「バングラデシュは恩を仇で返した」などという言説が散見されます。今回亡くなられた方々は、なにも恩を売るつもりで協力事業に力を尽くしたわけではないでしょう。しかるに、そのような言説を「日本人」が発するのは、志半ばで亡くなられた「同胞」に対する冒涜ではないでしょうか。また、たとえバングラデシュ国民が自嘲的にそのような言説を発したとしても、それを「日本人」が己の虚栄心を満たすために利用するなど言語道断です。

とまれ、「〈反日親日〉二分法的思考」は、私たちの「目」を曇らせます。「日本人」は、他でもない「日本人」自身のために「〈反日親日〉二分法的思考」をそろそろやめるべきではないでしょうか。