2018-01-01から1年間の記事一覧
RADWIMPSの新曲、軍歌のよう?歌詞めぐり議論に朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL6D42L6L6DUCVL006.html 作詞者である野田洋次郎氏は、ライブで「HINOMARU」を披露した後、「自分の生まれた国を好きで何が悪い!」と叫んだそうで…
ヘイトスピーチ問題に関して、たとえば「醜悪なマイノリティを嫌いだと言うことさえも許されないのか」と言う人がいたとします。他方、「たとえ醜悪なマイノリティのことが嫌いであっても、マジョリティは醜悪なマイノリティに対して寛容であるべきだ」と言…
職場や学校、あるいは家庭で、まるで天気の話でもするかのように「普通の日本人」が他民族を蔑視ないしは差別する言葉を発するのを耳にしたことがあるのは、おそらく私だけではないでしょう。 残念ながら、日本社会では「民族差別は悪である」という価値観が…
あなたの「(日本)国民の常識感覚」からすれば何の問題もない言動が、「他者」から差別的であると批判されたとします。もしかすると、あなたは「国民の常識感覚からすれば何もおかしいことはなく、差別などではない(すなわち、国民の常識感覚からすれば差…
巷で繰り広げられている「ヘイトスピーチ」と「オタク」の関係についての議論は、どうも私にはいささか「雑な議論」に思えます。 たしかに、オタク趣味者が民族差別的な言動をとったからといって、それを直ちに「オタクの問題」とするのは間違いでしょう。 …
先般、韓国を旅した私は、在韓(ソウル)日本大使館“前”の「平和の少女」像を訪問しました。 大使館“前”とはいっても、ご覧のとおり、それは比較的広い道路を隔てた場所です。そのような場所で、静かに(しかし、力強い意志のこもったまなざしで)対峙する小…
「自民党政権がめざすのは『改憲』ではなく、『壊憲』である」などと言うと、おそらく自民党政権の支持者は、私が自民党政権のことが嫌いだからそのようなことを言うのだと思うでしょう。しかし、私は決して「好き嫌い」の問題としてそのようなことを言うの…
「イオ信組放火事件」*1や「朝鮮総連銃撃事件」*2などからもわかるように、ヘイトクライムが「いま、ここにある危険」となった現在も、まだ「ヘイトスピーチの自由も表現の自由として保障される」と言ってはばからない人が少なくありません。 たしかに、「ヘ…
おそらく、「日本国民」の多くが「日本は民主主義国家である」と信じて疑わないでしょう。たしかに、日本は政体として代表民主制を採用していますから、その限りでは「日本は民主主義国家である」と言えるかもしれません。しかし、民主主義の本質に鑑みると…
政権与党である自民党の議員が「ヘイトスピーチ、許さない」と言ったとして、それを好意的に受け止める人は少なくないでしょう。 もちろん、私はそれを悪いことだと言うつもりはありません。しかし、私はそれを手放しで称賛することに、どうしてもためらいを…
日本国憲法第11条は「『国民』は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と規定し、また、第12条は「この憲法が『国民』に保障する自由及び権利は……」と規定していることから、日本国憲法による人権の保障が及ぶのは、あたかも「日本国民」だけであるか…
ある表現に対する私人(個人)による批判を、あたかも国家による規制や介入と同じものであるかのように論じる人が、しばしば見受けられます。おそらく、彼らは自分たちの愛好する表現が迫害されているように感じるゆえに、私人による批判をあたかも国家によ…
おそらくこれまでは、多くの日本国民が「日本は民主主義国家である」と信じて疑わなかったでしょう。しかし、「森友学園問題」で「日本は民主主義国家である」という確信が揺らいだのでしょうか、「日本を民主化しよう」という声が上がり始めています。 もち…
《3分でわかる》森友学園、財務省の文書「書き換え」疑惑をイチから振り返ってみました https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/11/moritomo_a_23382926/ いわゆる「森友学園問題」に関して、行政府が立法府を欺くために公文書を改ざんするという議会制民主…
もしかすると、「安倍政権」は、これまでの自民党政権とは異なる「異常な政権」である、という認識の人も少なくないかもしれません。たしかに、私も、安倍政権は「戦後最悪の政権」であると言っても過言ではないと思います。しかし、安倍政権が、これまでの…
正直なところ、私は「3.11」について語る言葉を未だ持てずにいます。 そんな私が、ただ一言だけ言えることは、「人間を切り捨てるな」ということです。 どうか「復興」の美名の下に人間を切り捨てないでください。 もっとも、「人間を切り捨てるな」というこ…
「『戦後平和主義』を問い直そう」と言うと、もしかすると安倍首相が主張する「戦後レジームからの脱却」なるものに、私が賛同していると思う人もいるかもしれません。 誤解しないでください。私は決して、「戦後レジームからの脱却」なるものに賛同して「『…
「日本国民は、過去の日本による植民地支配に関して、責任を果たすべきである」などと言えば、おそらく多くの日本国民は、「我々が直接関与したわけではない“過去の日本による植民地支配”に関して、我々が責任を問われる筋合いはない」と反発するでしょう。 …
「知性と教養のある人間は、差別主義者にはならない」ということが、しばしば言われます。たしかに、私も主に読書を通じて差別主義を克服するための知見を得てきましたから、差別主義を克服するために「知ること、学ぶこと」が有益であることは否定しません…
前エントリ「三浦瑠麗氏とフジテレビによる民族差別煽動に断固抗議する」について、若干補足します。 たしかに、問題となった三浦瑠麗氏の発言それ自体は、三浦氏の「言い訳」にもあるように、民族差別煽動とは言い難いようにも思えます。 しかし、前エント…
三浦瑠麗氏、ワイドナショーでの発言に批判殺到 三浦氏は「うがった見方」と反論http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/12/ruri-miura_a_23359021/ 残念ながら、「大阪に北朝鮮のテロリスト分子が潜んでいる」という三浦瑠麗氏の発言の何が問題であるか分か…
「差別主義者は人間ではない」という言説を、しばしば見聞きします。 たしかに、差別は人間の尊厳を踏みにじる「反人間的な」ものですから、「差別主義者は人間ではない」と言いたくなる気持ちもわかります。しかし、差別主義者を「人間ではない」と言い切る…
私は「路地裏」を愛している。しかし、その「愛」はいささか暴力的かもしれない。 路地裏は、決して簡単に私を受け入れようとはしない。しかし、それゆえに私は闖入したくなる。 この路地を進んだ先には、いったい何があるのだろう?もしかすると、そこにあ…
「立憲主義」という言葉の意味を真に理解しているかどうかはさておき、おそらく多くの日本国民が、「日本は立憲主義国家である」ことを信じて疑わないでしょう。もちろん、私も「日本は立憲主義国家である」ことを信じて疑わない人間の一人です。 さて、「日…
「護憲派」の中には、「憲法9条は、国民を守るためにある」と言う人がいます。たしかに、憲法9条を守ることで、国民が戦火から守られることは否定しません。しかし、それはあくまでも憲法9条を守ることで得られる派生的な効果であって、憲法9条の本質で…
韓国大統領、矛盾を露呈 慰安婦合意新方針、国内でも批判:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S13307453.html どうして、日本政府もマスメディアも、そして国民も、韓国政府が「日韓“慰安婦”合意」の不当性を主張する一方で合意の破棄・再…
理念を掲げて現状の変革を訴える人に対して、「現実を見ろ」と言う人がいます。もしかすると、「現実を見ろ」と言う人に同調し、理念を掲げて現状の変革を訴える人のことを夢想家だと嘲笑する人は少なくないかもしれません。しかし、私はその「現実を見ろ」…