あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

“戦後世代”の日本人の「責任」

「戦後生まれの私が、過去の日本が犯した侵略戦争や植民地支配という、自分のあずかり知らないことで責任を問われるのは理不尽である」と考える “戦後世代”の日本人は、決して少なくないでしょう。

過去の日本が犯した侵略戦争や植民地支配が、“戦後世代”の日本人にとって「自分のあずかり知らないこと」だというのは、たしかにその通りです。しかし、だからといって“戦後世代”の日本人が何らの責任も負わないと考えるのは誤りです。

「戦後生まれの私が、過去の日本が犯した侵略戦争や植民地支配という、自分のあずかり知らないことで責任を問われるのは理不尽である」と考える“戦後世代”の日本人は、自らが果たすべき「責任」を誤解しています。“戦後世代”の日本人は、自分のあずかり知らない「過去の日本が犯した『罪』」について責任を問われるのではありません。“戦後世代”の日本人は、「過去の日本が犯した侵略戦争や植民地支配に対して、今いかなる態度をとるか」を問われているのです。そして、自己のうちに内面化された植民地主義を克服し、侵略戦争と植民地支配の加害責任という「負の遺産」を承継したにもかかわらず未だに責任を果たそうとしない国家に責任を果たさせる、それこそが“戦後世代”の日本人が果たすべき「責任」なのです。

もっとも、「未だに責任を果たそうとしない国家に責任を果たさせる」という点に関しては、「日本は国家として十分に責任を果たしている」と認識している“戦後世代”の日本人が少なくないかもしれません。しかし、その認識が誤りであることは、侵略戦争と植民地支配の主犯である天皇が国家制度として今もなお存続し、天皇と国家のために戦死した者を顕彰する施設である靖国を首相や閣僚が参拝し、政府が未だ植民地支配の不法性を認めず、与党が植民地支配とその下での人権侵害の矮小化あるいは正当化に腐心している、といったことを挙げれば十分でしょう。

“戦後世代”の日本人が問われているのは、つまるところ「平和と人権」という人類の普遍的価値を世界の市民と共有できるかどうかです。そうであれば、前述の“戦後世代”の日本人が果たすべき「責任」を果たすことをためらう理由は何もないはずです。“戦後世代”の日本人が果たすべき「責任」を「自分のあずかり知らないことについて問われるもの」だなどと言うのは、過去の日本が犯した侵略戦争や植民地支配を正当化したい者たちによる詭弁です。私たちは、そのような詭弁に惑わされずに、今を生きる私たちが果たすべき「責任」をしっかりと果たしていきましょう。