あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「本当の保守」論について

最近、巷で「本当の保守」という言葉をよく見聞きします。それは、安倍政権の支持者よりも、むしろ「反安倍政権」の人の口からよく聞かれる言葉であると思います。

もちろん、安倍政権に対する私のスタンスは「反安倍」です。しかし、それ以前に左翼である私は、「安倍政権は『本当の保守』ではない」といった「本当の保守」論には賛同できません。

このようなことを言うと「本当の保守」論者は、左翼である私が「保守思想」を毛嫌いしているだけだと思うかもしれませんが、決してそうではありません。

そもそも、日本の「保守」が守りたいのは、日本社会の差別の根源である「天皇制」や、日本社会を貫く「排除と同化の論理」を象徴する「日の丸」といったものです。そのようなものを守ろうとする「日本の保守思想」は、「反差別」という私の信条にそぐわないものですから、私は到底受け入れることができません。もっとも、「本当の保守」論者も「本当の保守は民族差別に反対すべきである」と言います。しかし、彼らが日本社会の差別の根源である「天皇制」を否定することはないでしょう。なぜなら、天皇制を否定することは彼らにとっては自己否定なのですから。そうはいっても、やはり日本社会の差別の根源である「天皇制」を否定するのでなければ、いくら「本当の保守は民族差別に反対すべきである」と言ったところで、それは欺瞞でしかありません。

このように、「本当の保守」が日本社会の差別構造を温存するものである点だけでも、私がそれに与しない理由としては十分なのですが、もうひとつ言えば、「本当の保守」論は、例えば「(日本のアジア侵略を推し進めた)急進的な超国家主義はむしろ『革新』である」*1といったように、「革新」があたかも邪悪なイデオロギーであるかのようなレッテル貼りをする点が、なんとも悪辣です。「本当の保守」論者が好んで言う「アベ政治は保守ではなく、むしろ革新である」もそうですが、「革新」を「保守」の「ゴミ箱」にするのは、いい加減やめていただきたいものです。もし「本当の保守」というものがあるとして、そうであれば「(日本のアジア侵略を推し進めた)急進的な超国家主義」も「アベ政治」も「失敗した保守」であって、「革新」ではありません。「本当の保守」論者は、例えばソ連を「共産主義の失敗」だと言うのであれば、「保守主義の失敗」もしっかりと認めるべきでしょう。

それにしても、「本当の保守」論というのは、都合の悪いものを排除するという点で、「排除と同化の論理」を基調とする「日本保守主義」的な、あまりにも「日本保守主義」的なものであるといえます。その意味では、たしかに「本当の保守」論者こそ、「本当の保守」なのかもしれません。