あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

ヘイトスピーチ問題は、「好き嫌い」の問題ではない。

ヘイトスピーチ問題に関して、たとえば「醜悪なマイノリティを嫌いだと言うことさえも許されないのか」と言う人がいたとします。他方、「たとえ醜悪なマイノリティのことが嫌いであっても、マジョリティは醜悪なマイノリティに対して寛容であるべきだ」と言う人がいたとします。もしかすると、前者に反感を覚えるものの、後者には共感を覚える人もいるかもしれません。しかしながら、そもそもどちらの言説も間違っています。なぜなら、ヘイトスピーチ問題は、「好き嫌い」の問題ではないからです。

もし、あなたが「マイノリティは嫌われているからヘイトスピーチを浴びせられる」のだと思っているのならば、どうかその認識を改めてください。マイノリティは、嫌われているからヘイトスピーチを浴びせられるのではありません。マイノリティは、差別されているからヘイトスピーチを浴びせられるのです。

ヘイトスピーチは、「好き嫌い」という個人的な感情や趣味の問題ではありません。ヘイトスピーチは、この社会において客観的に存在する構造的な差別の問題です。もし、ヘイトスピーチが「好き嫌い」の問題だとすれば、つまるところ「個人の勝手」であって仕方がない、ということになるかもしれませんが、そうではなく、この社会において客観的に存在する構造的な差別の問題なのですから、「個人の勝手」であって仕方がない、では済まないのです。

ヘイトスピーチ問題で問われているのは、「醜悪なマイノリティを嫌いだと言うことの許否」ではありません。マイノリティを「醜悪なもの」と見る、マジョリティの「差別的なまなざし」が問われているのです。そうであれば、「マジョリティは醜悪なマイノリティに対して寛容であるべきだ」というのも、マジョリティは寛容云々以前に、マイノリティを「醜悪なもの」と見る「差別的なまなざし」を捨てるべきです。

繰り返し言いますが、ヘイトスピーチ問題は「好き嫌い」の問題ではありません。どうかヘイトスピーチ問題を「好き嫌い」の問題に矮小化するのはやめてください。