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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

安倍政権の形而上学

(70年目の首相)「自民党取り戻す」という意識 八木秀次・麗沢大教授

朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/DA3S11805891.html

 

上記リンク先の記事のなかで、安倍首相のブレーンであるとされる八木秀次教授は、「現行の憲法が立脚している『ポツダム体制』と、日米安保自衛隊が立脚している『サンフランシスコ体制』は原理的に矛盾している」と述べておられます。そして、原理的に矛盾している理由として、「7年間の占領期間は前半期と後半期に分けることができるが、前半期は『ポツダム体制』のもとで日本を敵視し、日本を弱体化させる政策を行ってきた。……しかし、後半期には米ソ冷戦によって状況が変わる。米国など自由主義陣営は、日本を敵視するのではなく、同盟国として取り込み、反共の防波堤にしよう、という認識に変わってくる」ということを挙げておられます。

おそらく、「原理的に矛盾」とは「前半期」と「後半期」における米国の日本に対する態度の違いのことなのでしょうが、「原理」がいったいどういうものなのかは、必ずしも明確ではありません。とまれ、「原理的に」と言われてしまっては、もはや「矛盾する」ということに疑義をはさむ余地はないような気がしてしまいます。

しかし、はたして本当に、疑義をはさむ余地はないのでしょうか。

私が思うに、占領期間の前半期と後半期におけるアメリカの理念は一貫しており、ただその理念を定着させ維持するための方法が異なるにすぎないのではないでしょうか。すなわち、占領期間の前半期は「アメリカ流の民主主義」を日本に定着させるために、八木教授の言葉を借りれば「日本を敵視し、日本を弱体化させる政策を行」ったのであり、後半期は日本に定着させた「アメリカ流の民主主義」を共産主義勢力から護り維持するために、「日本を敵視するのではなく、同盟国として取り込」んだのであって、前半期・後半期とも「『アメリカ流の民主主義』を定着させ維持する」という目的は一貫している。そうだとすれば、「現行の憲法が立脚している『ポツダム体制』と、日米安保自衛隊が立脚している『サンフランシスコ体制』は原理的に矛盾している」とはいえないと考えることもできるのではないか、と思うのです。

そうして、「ポツダム体制」と「サンフランシスコ体制」が原理的に矛盾するとはいえないと考えられるのならば、安倍首相がお題目のように唱える「戦後レジームからの脱却」も、はたしてどれだけの理があるものなのかという疑念がわいてきます。

佐伯啓思先生もそうですが、どうやら「保守系の論客」と呼ばれる先生方の論調は、「原理」や「原則」といった言葉を用いて、「我々の言説は動かしがたい真理であるから、これに疑義をはさむことなく議論を進めよ」というものであるような気がします。

私のような非アカデミズムの凡庸な市民は、アカデミズムの権威ある学者先生に「原則だ」とか「原理的だ」などと言われてしまうと、その言説に疑義をはさむことを躊躇してしまいがちです。ですが、やはり「原則だ」とか「原理的だ」などと断言するような言説に対しては、一度は疑いの目を向け、それが本当に疑義をはさむ余地がないものであるか考えてみる、ということも大切なのかもしれません。