葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

日本軍性奴隷制問題をめぐる朝日新聞の傲慢な勘違い

(社説)慰安婦合意 意義を再評価し前進を:朝日新聞デジタル

 

日本軍性奴隷制問題をめぐる朝日新聞誤報が日本軍性奴隷制問題に関する日本政府の責任を免れさせるものではないのと同様に、尹美香氏をめぐる不正疑惑が日本軍性奴隷制問題に関する日本政府の責任を免れさせるものではないことは言うまでもありませんが、それはさておき、日本軍性奴隷制問題をめぐり、相変わらず朝日新聞は傲慢な勘違いを犯しています。

日本軍性奴隷制問題が人権問題であるのは、もちろんその通りです。それなのに、どうして朝日新聞は「政治的な落着点」にすぎない日韓「慰安婦合意」の意義を再評価すべきだと言うのでしょうか。日本軍性奴隷制問題が人権問題であるならば、「政治的な落着点」にすぎない日韓「慰安婦合意」の意義を再評価すべきだとは言えないはずです。残念ながら朝日新聞は、日本軍性奴隷制問題が人権問題であることの意味をうわべだけしか理解していないと言わざるを得ません。人権問題の原点に立ち戻るべきなのは韓国政府ではなく、朝日新聞であり、そして日本政府です。

日本政府が安倍首相名で「心からのおわびと反省」を表明したというのは、たしかに事実です*1。しかし、謝罪というのは、ただ「心からおわびと反省の気持ちを表明する」と口先だけで言えばよいというものではありません。真摯に謝罪したといえるためには、謝罪と矛盾する態度をとらないこと、そして同じ過ちを繰り返さないように過ちを記憶することが大切です。しかし、日本政府は2015年の日韓「慰安婦合意」の後も、「軍などによる強制連行があったと裏付ける資料は見つからなかった」などと問題の矮小化に腐心したり*2アメリカやドイツなどで戦時性暴力の根絶のために歴史を記憶することを目的とする「平和の少女像」に対して圧力を加えたり*3と、謝罪と矛盾する態度をとり続けています。また、同じ過ちを繰り返さないように過ちを記憶するどころか、前述したように戦時性暴力の根絶のために歴史を記憶することを目的とする「平和の少女像」を敵視して圧力をかける始末です。もし日本政府が本当に「心からのおわびと反省」をしたというのであれば、日本政府が率先して戦時性暴力の根絶のために歴史を記憶する「場」を設けてもよいはずです。

どうやら朝日新聞は、日本軍性奴隷制問題がいつまでも解決しないのは正義連(旧挺対協)とそれに迎合する文在寅政権のせいだと言いたいようですが、それは傲慢な勘違いです。日本軍性奴隷制問題がいつまでも解決しないのは、日本政府が「心からのおわびと反省」と矛盾する態度をとり続け、歴史を消し去ることに腐心するからです。「文氏は……財団の解散以降、代わりの具体的な救済策を示してはいない」というのも、とんだ言いがかりです。それというのも、日本政府が法的責任を認めて真摯に謝罪し、謝罪と矛盾する態度をとらないことが具体的な救済策であるのですから、そもそも文在寅大統領が「代わりの具体的な救済策を示」す必要などないからです。「文在寅氏は代わりの具体的な救済策を示せ」という朝日新聞の言い草は、まるで「野党は反対するなら対案を出せ」というネット右翼の言い草のようです。

朝日新聞は、日韓「慰安婦」合意に基づく支援金を被害者の7割が受領していることを、日韓「慰安婦」合意を正当化する理由として援用しています。もちろん、被害者の7割が支援金を受領したこと自体は、何ら責められるべきことではありません。しかし、被害者の7割が支援金を受領したからといって、支援金を受領しなかった3割の被害者の意思を無視してもよいということにはなりません。日本軍性奴隷制問題は人権問題なのですから、「多数決の論理」はここでは通用しないのです。それに、支援金を受領した被害者の多くが「苦悩や葛藤の末に受け入れた」のであれば、被害者に苦悩や葛藤を強いる日韓「慰安婦」合意は、「過去の傷を少しでもやわらげる」どころか、むしろ被害者をさらに傷つけるものでしかないでしょう。つまり、日韓「慰安婦」合意は、「過去の傷を少しでもやわらげる」ものなどでは決してなく、過去の傷に苦しむ被害者を分断し、さらに深い傷を負わせて被害者を沈黙させるものでしかないのです。

日韓「慰安婦」合意の意義を評価する「良心的日本人」たちは、「法的責任を認めて真摯に謝罪し、謝罪と矛盾する態度をとらないことを今の日本政府に期待するのは現実を無視した理想主義だ」と冷笑するかもしれませんが、それは日本人としてあまりにも無責任な態度です。法的責任を認めて真摯に謝罪し、謝罪と矛盾する態度をとらないことを今の日本政府に期待するのではなく、今の日本政府に法的責任を認めさせて真摯に謝罪させ、謝罪と矛盾する態度をとらせないことこそが、現在に生きる日本人が日本軍性奴隷制被害者に対して負っている責任です。そして、今の日本政府に法的責任を認めさせて真摯に謝罪させ、謝罪と矛盾する態度をとらせないことは、決して不可能なことではありません。それを「不可能だ」と言うのは、責任逃れの言い訳です。