
以上みたように丸山は、朝鮮=植民地問題をその思想体系の中から「さっぱりと」捨象することによりファシズム理論を完成させ、国民主義的ナショナリズムの理論を立ち上げた。丸山が朝鮮=植民地を捨象、無視、後景化したことをどのように理解すればよいだろうか。ここで想定できるのは、丸山が「思想の捨象化」とでも呼べる方法を用いたのではないかということである。
(権赫泰『平和なき「平和主義」』法政大学出版局 45頁)
石破茂首相は10日、戦後80年に寄せての「所感」を発表しました。今年に入ってから石破首相は、「二度と戦争を起こさせない観点が重要だ。なぜあの戦争を止めることができなかったか、考えをのべたい」と繰り返してきました。しかし、「所感」は先の戦争について考えるうえでもっとも重要な、どういう戦争であったかの歴史認識を語らず、植民地支配や侵略戦争をまったく反省していません。
東大名誉教授・北岡伸一氏 石破茂首相の戦後80年所感は安倍晋三首相の戦後70年談話の歴史認識を継承した。上書きはなく、なぜ判断を誤り戦争を始めたのかという歴史の反省に重点をおいた。
石破「戦後80年所感」は、安倍「戦後70年談話」の歴史認識を継承したそうですが、その歴史認識というのは、いわゆる「司馬史観」です。
日本人の近現代史認識の底流を貫いているのは、おそらく小説家・司馬遼太郎(1923〜1996)が完成した「司馬史観」ではないかと思う。
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この歴史観からすると、明治時代の日本が朝鮮を併合するために決行した日清戦争と日露戦争は良き時代の美しい記憶となり、1931年の満州事変から始まった「昭和の戦争」は、明治時代の先輩たちが築いた朝鮮併合などの成果を一挙に吹き飛ばしてしまった、間違った戦争と解釈される。このような歴史認識は14日に発表された安倍談話にも徹底的に反映されている。
安倍談話は「百年以上前の世界には、圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、アジアにも押し寄せた。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」とした。続いて、かつて成功した日本が世界恐慌などで大きな打撃を受けて孤立され、これを打開するために戦争を繰り広げて敗戦したという認識を明らかにしている。
談話が間接的ながらも反省し謝罪しているのは、満州事変から太平洋戦争につながる「昭和の戦争」だけで、朝鮮を強制併合する過程で繰り広げた「明治の戦争」についてはむしろ美化している。談話は「昭和の戦争」の相手だった米中に対する遺憾の表明にはなり得ても、韓国に対する謝罪ではないだけではなく、朝鮮半島の強制併合を正当化しようとする危険な史観を潜ませている。
安倍「戦後70年談話」が依拠する「司馬史観」は、上掲のハンギョレ新聞の記事で述べられているように、朝鮮を強制併合する過程で繰り広げた「明治の戦争」を美化し、満州事変から太平洋戦争につながる「昭和の戦争」を、明治時代の先輩たちが築いた朝鮮併合などの成果を一挙に吹き飛ばしてしまった、間違った戦争とするものです。そして、その「間違った戦争」の原因を、統帥権いう「魔法の杖」を手にした軍部の暴走に求めます。つまり、「司馬史観」は、「明治時代」以降の天皇制国家・日本が犯した過ちを「昭和の戦争」に矮小化し、その「昭和の戦争」という過ちの責任を「暴走した軍部の責任」に矮小化することで、天皇制国家によるアジア侵略と植民地支配について天皇制国家の責任を免責するものなのです。
このような「司馬史観」に基づく安倍「戦後70年談話」の歴史認識を継承したゆえに、石破「戦後80年所感」には天皇制国家・日本による不法な朝鮮植民地支配についての言及が全くないのですが、それは安倍「戦後70年談話」の歴史認識を継承したゆえに言及しなかったのもやむを得なかったのでは決してありません。つまり、石破氏は、ある目的のためにあえて「司馬史観」に基づく安倍「戦後70年談話」の歴史認識を継承し、天皇制国家・日本による不法な朝鮮植民地支配の歴史を「戦後80年所感」から切り捨てたのです。そして、「ある目的」とは、今もなお継続する天皇制国家を免責し、天皇制国家体制を維持することです。
「戦後日本」は過去の戦争への深い反省の上に成り立つ「平和国家」であると言われますが、実のところそれは不法なアジア侵略と植民地支配への無反省の上に成り立つ天皇制国家です。つまり、天皇制国家による不法なアジア侵略と植民地支配の歴史を問題にすれば、天皇制国家による不法なアジア侵略と植民地支配について天皇制国家の責任を免責することで維持されてきた「『戦後日本』は過去の戦争への深い反省の上に成り立つ『平和国家』である」という虚構が崩れることになります。だからこそ、石破氏は「戦後80年所感」であえて天皇制国家・日本による不法な朝鮮植民地支配を語らなかったのです。
玉城デニー知事は11日、石破茂首相の戦後80年所感を受けたコメントを発表した。県内で自衛隊配備が進む現状に県民が不安を抱いていることを指摘し、「沖縄の現状についての言及がないことはやはり残念だ。これまでの史歴について論じられるのであれば、沖縄県民の民意についても言葉を添えていただきたかった」と述べた。
玉城デニー知事、首相の戦後80年所感に「沖縄の現状に言及なく残念」 発表自体は「意義大きい」と評価 - 琉球新報デジタル
こうして、石破氏が「『戦後日本』は過去の戦争への深い反省の上に成り立つ『平和国家』である」という虚構を維持することに腐心したのは、石破氏が自民党の「リベラル派」だから*1では決してなく、「平和国家」を自民党政権が進める「米国の戦争」に参加するための軍拡の「隠れ蓑」にするためです。石破「戦後80年所感」が日帝による不法な朝鮮植民地支配のみならず違憲な琉球弧の軍事要塞化という「沖縄の現状」について全く言及がないのも、まさに石破「戦後80年所感」が、「先の大戦の反省」を「免罪符」にして「来たるべき戦争」のための軍拡を正当化するものだからなのです。