葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

釜山の「平和の少女」は、静かに、だが力強く佇む。

先般、韓国の釜山を旅した私は、日本では「従軍慰安婦像」と呼称される、「平和の少女」を訪ねました。

日本では、釜山の「平和の少女」は、 在釜山日本国総領事館「前」に設置されていると、マスメディアで報じられています。

ですので、まず私は、在釜山日本国総領事館の正門前に向かいました。

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しかし、 在釜山日本国総領事館「前」に設置されているという日本での報道とは異なり、そこには「平和の少女」の姿はありませんでした。

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そこで、私は在釜山日本国総領事館の裏手へ移動しました。

すると、一般来館者が利用することはないであろう裏門からいくらか離れた場所で、「平和の少女」は、静かに、だが力強く佇んでいました。

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(なお、釜山の「平和の少女」像の正確な位置については、韓国の大学講師でいらっしゃる吉方べきさんのブログの記事が詳しいです。)

www.atosaki.com

こうして、実際に現地を訪れてみると、「平和の少女」が「領事機関の安寧を妨害し,威厳を侵害するものであって、ウィーン条約に違反する」などという日本政府の言い分は、いかに馬鹿げたものかがよく分かります。

戦時性暴力被害者の「人間としての尊厳」の回復を訴えることで損なわれる「日本の領事機関の威厳」とは、いったい何なのでしょうか。その「日本の領事機関の威厳」とやらは、はたして戦時性暴力被害者の「人間としての尊厳」に勝るものなのでしょうか。

日本政府は、「平和の少女」の、その静かだが力強い眼差しで見つめられることで疚しさを感じるのであれば、「平和の少女」に対して強権的に威嚇するのではなく、己のその疚しさがいったい何なのかと自問すべきでしょう。

もし、日本政府がどうしても「平和の少女」に、在釜山日本国総領事館「裏」から立ち去ってもらいたいのであれば、良い方法があります。それは、日本政府が、かつての植民地支配とその下での戦時性暴力を正当化することをやめ、誠意をもって謝罪し、そして謝罪と矛盾した態度をとらないことです。もっとも、それはすでに「平和の少女」が、幾度となく日本政府に対して訴えかけてきたことなのですが……。