あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

再び言おう、「平和の少女像排除問題」は「表現の自由」の問題である。

以前のエントリ*1で、私は「『日本政府による平和の少女像撤去要求問題』は、『表現規制問題』である」旨のことを書きました。その後、現在までの日本政府の「平和の少女像」に関する態度を見るに、やはり「日本政府による平和の少女像撤去要求問題」は、いわゆる「表現規制問題」と相通ずるものがあるといえます。

「エロティックな表現」について、私はそれも「表現の自由」を支える価値である「自己実現」に資するものであり、「表現の自由」として保障されるべきであると考えています。ですから、「エロティックな表現」も、他者の人権を侵害しないのであれば、不快であるとか風紀を乱すといった理由で不当に制限されるべきではないという見解に賛同します。

そうだとして、はたして「平和の少女像」という表現物が、いったい誰の人権を侵害するというのでしょうか。日本政府は、在釜山日本国総領事館裏の「平和の少女像」に関しては、「公館の安寧・威厳」が侵害されることを理由に「平和の少女像」の排除を主張しています。ですが、先日のエントリでも書きましたように*2、日本政府のその主張は不当な言いがかりにすぎません。また、日本政府は、韓国政府が国立墓地に日本軍性奴隷被害者の追悼碑を設置することに関しても「日韓合意に反する」と横槍を入れていますが*3、そもそも「日韓合意」には「日本軍性奴隷被害者を追悼してはならない」などという取り決めはないのですから、これも苦し紛れの言い訳でしかありません。そうして、こうした日本政府の態度に鑑みれば、結局のところ日本政府は、「平和の少女像」や「日本軍性奴隷被害者追悼碑」が不快だから、あるいは「日本という国の威厳」を傷つけられるから(そもそも、戦時性暴力を正当化することで守られる「国の威厳」とは、いったい何なのでしょうか。人権は、「国」よりも前にあるものです)、「平和の少女像」や「日本軍性奴隷被害者追悼碑」をこの世界から排除したい、ということなのでしょう。そうだとすれば、私のような「エロティックな表現」について「他者の人権を侵害しないのであれば、不快であるとか風紀を乱すといった理由で不当に制限されるべきではない」と考える者は、「平和の少女像」という表現物に関しても、誰の人権を侵害するものでもない以上、不快だから、あるいは「日本という国の威厳」を傷つけられるからといった理由で不当に排除されるべきではないと考えるのが、首尾一貫した態度であるといえます。

もっとも、「日本国民」の中には、「『平和の少女像』は、『日本人の名誉』という、『日本人』である私の人権を傷つけるものだ」と言う人がいるかもしれません。ですが、戦時性暴力を正当化することで守られるような「名誉」が、はたして「日本人の名誉」という、「日本人」である個人の人権であるといえるでしょうか。もし「日本人」であるあなたが本当にそう思っているのなら、その認識は改めるべきです。なぜなら、戦時性暴力という国家による人権蹂躙を糾すことは、「日本人」であるあなたという個人の尊厳を傷つけるどころか、むしろあなたという個人の尊厳に資するものなのですから。