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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

ヘイトスピーチをやめよう、「自由な人間」であるならば。

ヘイトスピーチ解消法の施行後も、相変わらずヘイトスピーチは後を絶ちません。そしてまた、誰にも邪魔されることもなく、好き勝手にヘイトスピーチを撒き散らすことも「表現の自由」である、と考えている人が少なからず見受けられるのも相変わらずです。

たしかに、<他なる力>によって妨げられることなく、自らの意思によって思想信条を外部に表明することは、まさしく「表現の自由」です。

しかし、それは思うにあくまでも「表現の自由」の一つの側面にすぎません。すなわち、「表現の自由」の根源的価値は「個人の尊厳」であって、それゆえに表現行為をするにあたっては、「個人の尊厳」を傷つけない配慮が求められます。しかるに、他者の「個人の尊厳」を傷つけないよう自らの意思によって表現行為を制御できないのであれば、表現行為は<他なる力>によって抑制されざるをえないでしょう。つまり、<他なる力>によって妨げられることなく、自らの意思によって思想信条を外部に表明することばかりでなく、自らの意思によって他者の「個人の尊厳」を傷つけるような表現行為を抑制することもまた、「表現の自由」なのです。

そうだとすれば、誰にも邪魔されることもなく、好き勝手にヘイトスピーチを撒き散らすことも「表現の自由」である、などという言説が誤りであることは、もはや明白でしょう。

自らの表現行為が他者の「個人の尊厳」を傷つけるような許されないものであるかどうか、自ら是非を弁別することができずヘイトスピーチを撒き散らし続けるということは、「自由な人間であること」を放棄するものです。さらにいえば、それは「尊厳ある人間であること」を放棄するものです。尊厳ある、自由な人間として生きるためにも、ヘイトスピーカー諸氏はヘイトスピーチを即刻やめるべきです。