あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

日本政府による朝鮮学校差別について、私が思うこと。

日本政府による朝鮮学校に対する差別政策を正当化する理由として、いわゆる「“北朝鮮”核問題」ではなく、「“北朝鮮”政府による人権侵害問題」を挙げる「日本国民」がいます。「“北朝鮮”政府による人権侵害問題」も「“北朝鮮”核問題」と同様、それを理由として挙げる「日本国民」は、日本政府が朝鮮学校に対する差別政策を正当化する理由として主張する「“北朝鮮”政府や朝鮮総連朝鮮学校に対する影響力」というものが念頭にあるのでしょう。しかし、私は本稿で、「“北朝鮮”政府や朝鮮総連朝鮮学校に対する影響力」について論じるつもりはありません。なぜなら、それは「日本政府による朝鮮学校に対する差別問題」を考える上で、全くもって本質的なものではないからです。

では、仮に朝鮮学校に対する朝鮮民主主義人民共和国政府(以下、DPRKと略す)の朝鮮学校に対する影響力があるとしましょう。そして、日本のマスメディア報道から窺い知る限りでは、たしかにDPRK政府による人権侵害があるのは事実かもしれません。しかし、一方で沖縄の米軍基地に反対する市民に対する暴力的な弾圧や、入管収容所における外国人収容者に対する苛烈な人権侵害といった、日本政府による人権侵害があるのも事実です。そうだとして、DPRK政府による人権侵害があることを理由として、日本政府による在日コリアン差別という人権侵害が許されるというのなら、日本政府による人権侵害があることを理由として、ある国の政府による日本人差別という人権侵害も許されるのでしょうか。もちろん、答えは「否」です。しかるに、どうして一部の(とは言え、決して少なくない)「日本国民」は、DPRK政府による人権侵害があることを理由に、日本政府による朝鮮学校に対する差別政策という、在日コリアンの平等権や民族教育を受ける権利という人権の侵害を肯定するのでしょうか。

もちろん、日本政府による人権侵害と同様に、DPRK政府による人権侵害も非難されてしかるべきでしょう。しかし、だからといって日本政府による在日コリアンに対する人権侵害を肯定することは、言語道断だと言わざるを得ません。

そもそも、「“北朝鮮”核問題」や「“北朝鮮”政府による人権侵害問題」は、日本政府による在日コリアン差別政策を支える、「北朝鮮敵視(あるいは蔑視)」を正当化する理由たり得るのでしょうか。思うに、それらは、つまるところ後付けの理由でしかないでしょう。なぜなら、「“北朝鮮”核問題」や「“北朝鮮”政府による人権侵害問題」が顕在化するよりも前から、「日本」という国家は、ずっと「朝鮮」を敵視、あるいは蔑視してきたのですから。