葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

多くの日本人にとって、韓国の社会問題は韓国を見下して優越感に浸るための「ネタ」でしかないのか。

家父長主義が今もなお色濃く残る点やネオリベラリズムの影響を強く受けている点などでよく似ている韓国社会と日本社会は、両者それぞれが抱えている問題もよく似ています。それゆえ、日本人にとって韓国の社会問題は貴重な「他山の石」であり、韓国社会における問題解決への取り組みから多くを学ぶことができるはずです。実際、韓国では、日本と共通する社会問題について日本における取り組みが参考にされています*1

しかしながら、多くの日本人は、韓国の社会問題を「他山の石」とせず、それをただ韓国を見下して優越感に浸るための「ネタ」として消費するだけであるのが現実です。もちろん、これについては韓国の社会問題を韓国を見下して優越感に浸るための「ネタ」として供給するマスメディアにも問題があります*2。ただ、それでもやはり日本人の多くは、韓国の社会問題を韓国を見下して優越感に浸るための「ネタ」としか思っていないのでしょう。

そもそも、日本人の多くは、韓国の社会問題について、それと共通する社会問題など日本社会には存在しないと思っているのかもしれません。しかし、それは傲慢な勘違いです。ある問題を解決するためには、なによりもまずその問題を可視化する必要があります。この点、韓国社会は問題の可視化に積極的です。それゆえ、多くの日本人には、韓国社会が日本社会に比べて多くの問題を抱えているように見えるのかもしれませんが、それは錯覚に過ぎません。韓国社会に比べて日本社会は、問題に可視化に消極的です。それどころか、問題が隠蔽あるいは忘却されることもしばしばです。つまり、韓国社会が日本社会に比べて多くの問題を抱えているように見えるのだとしても、それはただ日本社会が抱えている問題が顕在化されていないだけだということです。そして、もし日本人が韓国と共通する社会問題など日本には存在しないと思っているのだとしても、それはただ日本人がその問題から目を背けているだけだということです。

多くの日本人が、韓国の社会問題を「他山の石」とせず、それをただ韓国を見下して優越感に浸るための「ネタ」として消費し、その「ネタ」をマスメディアが供給するという需給構造は、それ自体が日本社会の大きな問題です。日本人が韓国の社会問題を貴重な「他山の石」とし、韓国社会における問題解決への取り組みから多くを学ぶことができるようにするためには、まずこの問題を解決することが先決です。そして、それは日本社会の根底にある韓国蔑視観を克服することです。つまり、日本人が日本社会の根底にある韓国蔑視観を克服することは、日本社会のマジョリティである日本人が日本社会をよくするために、ぜひとも必要なことなのです。