あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

日本社会の差別によって分断されるのは、マイノリティ同士である。

日本社会でエスニックマイノリティ(以下、「マイノリティ」という)に敵意や憎悪を向けるのは、ほとんどがマジョリティである日本人です。しかし、同胞や他のマイノリティに敵意や憎悪を向けるマイノリティも決して皆無ではありません。

ナチスに協力したユダヤ人や日帝に協力した朝鮮人が存在したことに鑑みれば、同胞や他のマイノリティに敵意や憎悪を向けるマイノリティが存在するというのは、さほど不思議なことではないでしょう。それでもマジョリティである日本人が忘れてはならないのは、そのようなマイノリティを生み出すのは日本社会の差別構造であり、それを支えているのはマジョリティである日本人だということです。

日本社会の差別構造に働く「同化と排除」の力学は、しばしばマイノリティに同胞や他のマイノリティに対する敵意や憎悪を抱かせます。要するに、マイノリティが支配する日本社会から排除されないように、マジョリティに同化せんとする努力として、しばしばマイノリティは同胞や他のマイノリティに敵意や憎悪を向けてしまうのです。マイノリティをそのような状況に追い込むのは、もちろん日本社会の差別構造と、それを支えるマジョリティである日本人です。

日本社会の構造的差別によって惹き起こされる、マイノリティが同胞や他のマイノリティに対して抱く敵意や憎悪は、マイノリティ同士の分断を招きます。つまり、日本社会の構造的差別によって分断されるのは、日本社会ではなくマイノリティ同士なのです。

マイノリティが同胞や他のマイノリティに向ける敵意や憎悪は、マジョリティである日本人によって差別の正当化にしばしば利用されます。日本人にとっては、マイノリティが同胞や他のマイノリティに向ける敵意や憎悪も「マイノリティの自己批判」なのでしょう。しかし、マイノリティが同胞や他のマイノリティに向ける敵意や憎悪を生み出すのは他でもない日本社会の差別構造であり、それを支えているのは他でもない日本人です。それを考えると、マイノリティが抱く同胞や他のマイノリティに対する敵意や憎悪を日本人が差別の正当化に利用するのは、実に卑怯で卑劣です。

このごろよく見聞きするのが、「差別は社会を分断する」という言葉です。それは主に、日本社会の差別を憂う日本人によって使われますが、おそらく彼らは「我々も差別によって社会を分断される被害者だ」と言いたいのでしょう。しかし、先に述べたとおり、日本社会の構造的差別によって分断されるのは、日本社会ではなくマイノリティ同士です。そして、日本社会の構造的差別を支えているのは、まぎれもなくマジョリティである日本人です。つまり、日本人は、日本社会の構造的差別に関して「被害者」だとは到底言えないのです。それに、差別によって日本社会が分断される云々以前に、今もなお天皇を頂点とする日本社会はそもそもが差別によって成り立っている社会なのですから、「差別によって日本社会が分断される」というのはなんとも滑稽な話です。マジョリティである日本人は、本当に日本社会の差別を憂うのであれば、「我々も差別によって社会を分断される被害者だ」などと被害者面して日本社会の差別構造から目を背けるのではなく、日本社会が差別によって成り立っている社会であることを認識し、さらにはマジョリティとして日本社会の差別構造を支えてしまっていることを自覚し、日本社会の差別構造をこわしていかなければなりません。そうして、日本社会の差別構造をこわすことができたときにはじめて、私たちは新たな社会を築くための第一歩を踏み出すことができるのです。