あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

天皇制に反対することは、「天皇のことが好きか、嫌いか」の問題ではない。

天皇制に反対する私は、もし「天皇のことが好きか、嫌いか」と聞かれたら、迷わず「嫌いだ」と答えます。

もちろん、天皇のことが好きだというのは個人の勝手です。しかし、天皇制の是非を問う議論において「天皇のことが好きか、嫌いか」と問うことはナンセンスです。なぜなら、天皇制の問題は構造的な差別の問題であって、主観的な好き嫌いの問題ではないからです。ここであえて「好き嫌い」を問題とするならば、「天皇制のことが好きか、嫌いか」は、つまり「差別制度のことが好きか、嫌いか」ということです。

もっとも、天皇制の是非を問う議論において「天皇のことが好きか、嫌いか」と問うことがナンセンスであるとしても、「天皇のことが好き」だという感情は、天皇制という差別制度と決して無関係ではありません。なぜなら、天皇を敬愛する国民の感情(それを作り出すのは、ほかならぬ天皇制なのですが……)こそが、天皇制という差別制度を支える上で大きな役割を果たしているからです。しばしば「私は天皇のことが好きだが、しかし天皇制には反対だ」と言う人がいますが、残念ながらその人の天皇を敬愛する純粋な気持ちは、天皇制という差別制度の維持・強化に役立てられているのです。

さて、冒頭でも述べたように、もし「天皇のことが好きか、嫌いか」と聞かれたら、迷わず「嫌いだ」と答える私ですが、こんな私に「天皇のことが嫌いなら日本から出て行け」と罵声を浴びせる人もいるかもしれません。なぜ天皇のことが嫌いであれば日本から出て行かなければならないのか、正直なところ私には理解できませんが、この「天皇のことが嫌いであれば日本から出て行かなければならない」という"魔術的な言葉"は、紛れもなく天皇制によって生み出されたものです。そして、この"魔術的な言葉"を畏怖して「天皇のことが嫌いだ」と答えることを躊躇う人もいるでしょう。つまり、(天皇そのものは非理性的存在であるものの、)「排除の論理」で貫かれた天皇制は、「天皇のことが嫌いだ」という答えを許容しない制度なのです。こうした点に鑑みると、「天皇のことが好きか、嫌いか」を問うことは、やはりナンセンスであるといえるでしょう。問うべきは、「天皇のことが嫌いだ」という答えを許容しない暴力的な制度である天皇制です。