葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「こんなとき」だからこそ、政府の怠慢や横暴に対して我慢しないで怒ろう。

「国難だから政権批判するな」が生み出す「本当の国難」 - 毎日新聞

 

新型コロナウイルス禍で「緊急事態」の今、「こんなときに政権批判するな!」という国民の声が少なからず聞かれます。また、有名人の中には、国民に対して「今は怒るべきときではなく、国民が一致団結すべきときだ」と訴える人もいます*1政権批判に苦言を呈する人たちは、「政権を批判したところで新型コロナウイルス禍が終息するわけではない」と言います。たしかに、それはそうかもしれません。しかし、彼らは問題の本質をはぐらかしています。

新型コロナウイルス感染症との闘いは、究極的には人の命を救うことを目的とするものです。もしかすると、政権批判に苦言を呈する人たちは、政権批判が人の命を救うことを妨げると思っているのかもしれません。しかし、それは誤解です。日本における感染拡大を招いた最大の原因が、政府やマスメディアが盛んに喧伝するような「市民の気の緩み」*2などではなく、必要な検査*3や医療体制の充実強化などやるべきことを怠ってきた安倍政権の失策であることは明らかです*4。つまり、人の命を救うことを妨げるのは政権批判ではなく、安倍政権の失策だということです。それゆえ、人の命を救うためにも、政権を批判することが大切なのです。また、救うべきなのは、感染症そのものによって奪われる命だけではありません。新型コロナウイルス禍では、人民の生存権を実現する責務を負うはずの政府の怠慢によって生活を脅かされ、命の危機にさらされる人もたくさんいます*5。これは、私にとっても他人事ではありませんし、もしかすると、あなたにとっても他人事ではないかもしれません。だからこそ、政府の怠慢によって殺されないためには、あなたも私も政権を批判することが必要なのです。

新型コロナウイルス禍で問題なのは、政府の怠慢や怠慢だけではありません。新型コロナウイルス禍は、人権制限を目論む安倍政権にとって、やはり「格好の機会」であるようです*6。また、政府の緊急事態宣言に乗じてさしたる法的根拠もなく強権を振るう為政者も現れ始めています*7。国民の中には、「多くの人の命を救うためには、個人の権利や自由は制限されてしかるべきだ」と言う人も少なくないかもしれません。しかし、そのように人権の問題に「数の論理」を持ち込むとすれば、「お国のために命をささげよ」と国家という「大きな物語」のために個人に犠牲を強いた、かつての日本と同じ過ちを犯すことになります。そうした過ちを繰り返さないためにも、そして、政府の横暴によって殺されないためにも、新型コロナウイルス禍に乗じた政府らの横暴に対して、しっかりと批判を加えていくことが必要なのです(なお、私も新型コロナウイルス感染拡大防止のために必要な最小限度の制限を個人の権利や自由に加えることまでは否定しません。)。

こうしてみると、新型コロナウイルス禍で人の命を救うためには、政権批判を控えるのではなく、むしろ政権批判を怠らないことが大切だというのがお分かりいただけると思います。どうか皆さん、「こんなとき」だからこそ、政府の怠慢や横暴に対して我慢しないで怒りましょう。一人ひとりが政府の怠慢や横暴に対して我慢しないで怒ることで、救われる命もあるはずです。そして、なによりも自分や大切な人の命を守るために、政府の怠慢や横暴に対して我慢しないで怒りましょう。