あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

それでも自由が原則である。

安倍首相が緊急事態宣言 7都府県対象 効力5月6日まで | NHKニュース

 

はじめにお断りしておきますが、私は新型コロナウイルス感染症の恐ろしさを否定するつもりはありません。しかし、恐怖のあまり、国民が権利や自由の制限を進んで求めることにも、底知れぬ恐怖を覚えます。

たしかに、新型コロナウイルス感染拡大防止のために自由を制限する必要はあるかもしれません。しかし、たとえそうだとしても、そのためにとるべきなのは「強力な措置」ではなく、感染拡大防止のために必要な最小限度の措置です。なぜなら、立憲主義の下では自由が原則であり、自由を制限することはあくまでも例外にすぎないからです。つまり、たとえ「緊急事態」であっても、自由を制限することは決して「当たり前」ではないのです。

原則を堅持すれば、たとえ自由に(新型コロナウイルス感染拡大防止のために)必要な最小限度の制限を加えたとしても、新型コロナウイルス禍が去った後に自由を回復することはできるでしょう。しかし、原則と例外が逆転し、自由の制限が原則になってしまえば、それこそ取り返しのつかないことになります。

今般の「緊急事態宣言」の根拠法である新型インフルエンザ等対策特別措置法の措置は、たしかに欧米諸国のような法律上の強制力を伴うものではありません*1。しかし、それゆえに保守派のみならずリベラル派までもが安倍政権の弱腰をなじり、欧米諸国に倣い「より強力な措置」をとることを求めるような状況は、本当に危険です。もしかすると、安倍政権が強権的な措置をとることに慎重なのは、あえて焦らすことで、強権的な措置を求める世論を高めることを狙ったものかもしれません。そうだとしたら、国民が強権的な措置を進んで求めることは、まさに安倍政権の「思う壺」です。

政府による「緊急事態宣言」が発令されたことで、さっそくこれに乗じて法を超えて権力を振るわんとする為政者が現れ始めています*2。日本が本当に法治国家(法により国家権力が行使される国家)であれば、そう易々と為政者が法を超えて権力を振るうことはできないはずです。しかし、法的根拠を欠く「ロックダウン」(都市封鎖)*3が法的根拠の存否を問うことなく当たり前のように語られる*4状況に鑑みると、おそらく国民たちは為政者が法を超えて権力を振るうことを易々と許してしまうでしょう。

もちろん、私も新型コロナウイルス感染症は怖いですし、恐怖のあまり政府に対して強権的な措置を求めたくなる気持ちはわからなくもありません。しかし、それでも皆さん、どうか「自由が原則である」ということを決して忘れないでください。