葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

韓国国会議長に問われた「戦後民主主義」の欺瞞

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日本軍性奴隷問題について天皇の謝罪を求める文喜相韓国国会議長の発言は、戦後天皇制が戦前天皇制と非連続的なものではないことに鑑みれば(戦後天皇制を戦前天皇制は全く異なるものと考えている人も少なくないでしょうが、戦後天皇制は戦前天皇制から主権を差し引いたものにすぎず、すなわち「象徴天皇制」は戦前天皇制を象徴機能に純化したものであって、戦前天皇制と全く異なるものではありません。なお、戦前天皇制の象徴性と戦後天皇制の象徴性とは本質的に異なると解するのが憲法学の通説ですが、しかし、両者に共通する権威主義的な国民統合という点に鑑みれば、はたして戦前天皇制の象徴性と戦後天皇制の象徴性とは本質的に異なるといえるかどうかは甚だ疑問です。)、至極当然のことを言ったまでであって、「極めて不適切なもの」*1などではありません。むしろ、日本軍性奴隷制という日帝による加害の歴史を正当化することに腐心する日本政府の態度こそ、極めて不適切だといえます。

しかしながら、日本軍性奴隷問題について天皇明仁氏に謝罪させることには、たとえ明仁氏の退位後であっても、私は賛同できません。誤解がないようにお断りしておきますが、私は決して、天皇裕仁氏の息子である明仁氏には日帝による植民地犯罪について責任がないと考えているわけではありません。明仁氏は天皇の地位を裕仁氏から承継したからこそ天皇であるのですから、裕仁氏が果たさなかった責任を明仁氏が承継しない理由はないはずです。私が明仁氏に謝罪させることに賛同できないのは、日本国憲法においては主権在民が建前であるがゆえに、天皇上皇)に国家を代表して日帝による植民地犯罪について謝罪させることは違憲であり、また、たとえ退位後であっても明仁氏の謝罪が「天皇」という存在の権威をさらに高め、天皇制のさらなる強化につながるおそれがあるからです。思うに、主権在民の建前の下では、内閣総理大臣が国家を代表して日帝による植民地犯罪について謝罪すべきです。

もっとも、そうはいっても天皇日帝による植民地犯罪について責任を負っているにもかかわらず、日本国憲法における主権在民の建前ゆえに謝罪させられないというのは、やはり理不尽だといえるでしょう。つまるところ、ここに「戦後民主主義」あるいは「象徴天皇制」の欺瞞があります。文喜相議長の発言によって問われているのは、まさにこの「戦後民主主義」あるいは「象徴天皇制」の欺瞞ではないでしょうか。そして、この問いに答えることなく、単に主権在民の建前を持ち出して文喜相議長の発言を批判するのは、それもまた欺瞞かつ傲慢な態度だといえます。

日帝による植民地犯罪について責任を負っている天皇に謝罪させることが、日本国憲法における主権在民の建前に反するという、「戦後民主主義」あるいは「象徴天皇制」が抱える矛盾。この矛盾を解消するには、やはり天皇制を廃止するしかありません。そもそも、日帝による侵略戦争と植民地支配の原動力となったのが、ほかでもない天皇制です。その天皇制を日本国民が自らの手で廃止することもせずに、はたして本当に日本国民は日本帝国主義と決別したといえるのでしょうか。本当に日本国民が日本帝国主義と決別したというのであれば、日本国民は天皇制を自らの手で廃止すべきです。そして、それは日帝による植民地犯罪について日本国民が果たすべき責任のひとつです。

日帝による植民地犯罪について日本国民が果たすべき責任に関して、「国民主権のもとでは、天皇裕仁氏の責任を承継するのは、明仁氏ではなく主権者である国民だ」と言う“民主主義者”もいることでしょう。しかし、それは「国民主権」を巧みに利用した(“民主主義者”の皮をかぶった)天皇主義者の詭弁です。日帝による植民地犯罪について日本国民が果たすべき責任は、決して天皇裕仁氏から承継するものではなく(前述のとおり、裕仁氏の責任を承継するのは明仁氏です。)、国民固有の責任です。

繰り返しになりますが、私が天皇明仁氏に謝罪させることに賛同できないのは、日本国憲法においては主権在民が建前であるがゆえに、天皇に国家を代表して日帝による植民地犯罪について謝罪させることは違憲であり、また、たとえ退位後であっても明仁氏の謝罪が「天皇」という存在の権威をさらに高め、天皇制のさらなる強化につながるおそれがあるからです。もっとも、このことは、日帝による植民地犯罪の被害者、あるいは韓国の政府や国民にとっては全く関係のない話です。つまり、天皇制の問題は、日本国民が本当に日本帝国主義と決別したといえるかどうか、あるいは身分差別を是とするかどうかという(よく語られる「明仁氏の人柄」など、はっきり言ってどうでもいいことです。)、日本国民自身の問題なのです。