葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

ヘイトアクションは、「日本の恥」だから許されないのではない。

日本の団体が台湾の慰安婦像に乱暴 国民党議員、日台交流協会前で抗議 | 政治 | 中央社フォーカス台湾

 

日本の保守団体メンバーによる、この卑劣な行為に対しては、日本でも少なからず非難の声が上がっています。しかしながら、その多くが「日本の恥である」だとか「日本を貶めるものだ」といったものであります。

たしかに、彼の卑劣な行為は、台湾のみならず国際社会の日本に対する印象を悪くするものだといえます。しかし、彼の卑劣な行為が非難に値するのは、決して「日本の恥である」だとか「日本を貶めるものだ」からではありません。彼の卑劣な行為が非難に値するのは、日本軍性奴隷被害者を侮辱し、尊厳を踏みにじるものだからです。

このことは、日本社会に蔓延するヘイトスピーチについてもいえることです。ある「保守論客」は、「ヘイトスピーチによって最も傷がつく存在とは、何を隠そう「日本」という国家の国威・イメージであり、ひいては日本国の『国益』そのものなのである」などと言い*1、このような言説に共感を覚えるリベラル人士も少なくないようです。しかし、ヘイトスピーチが許されないのは、「日本」という国家の国威・イメージを傷つけるからではありません。ヘイトスピーチが許されないのは、それが記号的存在ではない、一人ひとり違う顔を持つ生身の人間の尊厳を踏みにじるものだからです。

そもそも、ヘイトスピーチの根底にある差別観を拠り所としているのは、何を隠そう「日本」という国家です。しかるに、ヘイトスピーチによって「日本」という国家の国威・イメージが傷つけられたなどと「被害者面」するのは、まさしく「厚顔無恥」だといえます。また、「国家の国威」を理由に少数派が抑圧されてきた歴史に鑑みれば、マイノリティを踏みにじるものであるヘイトスピーチが許されない理由として「国家の国威」などというものを持ち出すのは、正しくありません。

日頃から「反ヘイトアクション」を訴えるリベラル人士が、今回の事件のようなヘイトアクションについて、開口一番「日本の恥である」だとか「日本を貶めるものだ」などと言うのは、本当に残念なことです。「反ヘイトアクション」を訴える私たちは、「ヘイトアクション」が許されないのは、それが記号的存在ではない、一人ひとり違う顔を持つ生身の人間の尊厳を踏みにじるものだからであることを、決して忘れてはなりません。今回の事件でも、私たちが真っ先に目を向けなければならないのは「日本の名誉」ではなく、「日本軍性奴隷被害者の名誉と尊厳」なのです。