葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

憲法9条は「弾除けのお守り」などではない。

中村哲医師、アフガニスタンで銃撃され死亡 現地で井戸を建設 - BBCニュース

 

アフガニスタンで銃撃され死亡した中村哲さんが憲法9条の大切さを訴えていた*1ことから、「9条では命を守れなかった」と冷笑する9条改憲派が少なからず見受けられます。

たしかに、憲法9条では命を守ることはできません。しかし、それは当たり前のことです。なぜなら、憲法9条は「弾除けのお守り」などではないのですから。

中村哲さんの死を冷笑する9条改憲派は、憲法9条の意義を勘違いしています。憲法9条は、日本が戦争に巻き込まれないためのものではなく、過去の日本の侵略戦争を反省し、戦争の惨禍を二度と繰り返さないことを誓った憲法前文を受けて、日本に二度と戦争をさせないためのものです。そして、日本が自らの手を血で染めることだけではなく、「盟主」の戦争に加担することも憲法9条の意義に反するといえます。これは、憲法前文が「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有する」と謳っていることからも明らかです。

しかるに、戦後の日本は、憲法9条が存在するにもかかわらず「盟主」アメリカの戦争に加担してきましたし、今もなお加担し続けています*2。そして、このアメリカの戦争への加担が、日本人がテロの標的とされる一つの要因であることは、以前から指摘されています*3。つまり、憲法9条の存在にもかかわらず日本が「盟主」アメリカの戦争に加担していることこそが、日本人の命を脅かしているのです。もっとも、日本が「盟主」アメリカの戦争に加担していることによって脅かされているのは、日本人の命だけではありませんが。

今回の事件のような悲劇が繰り返されないために日本がすべきことは、憲法9条を変えることではなく、憲法9条が存在するにもかかわらず「盟主」アメリカの戦争に加担している現状を変えることです。また、「憲法9条のおかげで戦後日本は戦争に巻き込まれずに済んだ」と言う9条護憲派も、憲法9条の意義を日本が戦争に巻き込まれないためのものだとするその認識を変えなければなりません。日本国憲法が謳う平和主義は、日本の国土や国民が戦火に見舞われなければ、日本が加担する戦争によって他国の国土や国民が戦火に見舞われてもかまわないとするものではないのですから。