あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

マイノリティの個人の尊厳は、ヘイトスピーチ対策法で初めて保障されるものではない。

はじめにお断りしておきますが、私はヘイトスピーチ対策法が不要だと言いたいのではありません。私が本稿で言いたいのは、マイノリティの個人の尊厳を保障するのは、法律ではなく憲法である、ということです。

もしかすると、「マイノリティの個人の尊厳は、国民の代表機関である国会がヘイトスピーチ対策法を制定することによって初めて保障される」と思っている人がいるかもしれません。しかし、それは誤解です。マイノリティの個人の尊厳は、国民の代表機関である国会によって与えられる権利ではなく、人間が人間であることから当然に有する権利である人権です。つまり、マイノリティの個人の尊厳を蹂躙するヘイトスピーチは、ヘイトスピーチ対策法が制定される以前から人権侵害なのです。

もっとも、ヘイトスピーチは、国家による人権侵害ではなく個人による人権侵害ですから、憲法を直接の根拠としてそれを規制することはできません。すなわち、ヘイトスピーチ表現の自由の保障の範囲外であるとしても、ヘイトスピーチを行う者にも個人として表現の自由があるのですから、自由が保障される表現と保障の範囲外であるヘイトスピーチを明確に分ける必要があります。そして、それは自由な表現という国民の自由にかかわるものです。そこで、国民の代表機関である国会が制定する法律によって表現の自由の保障の範囲外であるヘイトスピーチを明確にしたのが、ヘイトスピーチ対策法です。つまり、マイノリティの個人の尊厳を保障するのは憲法であり、ヘイトスピーチ対策法は、憲法によるマイノリティの個人の尊厳の保障を実効的なものとするために、ヘイトスピーチという人権侵害を規制するものであるということです。

このように、マイノリティの個人の尊厳を蹂躙するヘイトスピーチは、ヘイトスピーチ対策法が制定される以前から人権侵害なのですから、もし「国民が主権者なのだから、ヘイトスピーチを放置するのも国民の自由だ」と考えている人がいるとすれば、彼のその考えは間違いであると言わざるを得ません。先にも述べたように、マイノリティの個人の尊厳は、人間が人間であることから当然に有する権利である人権です。しかるに、マイノリティの個人の尊厳が守られるのも犯されるのも主権者である「国民」次第だと考えるのは、基本的人権というものを誤解しています。そのような考えは、いわば「マイノリティを煮て食おうと焼いて食おうと主権者である国民の自由」だとするものであり、率直に言って恐ろしいです。

ヘイトスピーチ対策法は、あくまでも憲法によるマイノリティの個人の尊厳の保障を実効あらしめるための方策の一つに過ぎず、ヘイトスピーチ対策法が制定されたからそれで終わりということはありません。ご存知のように、ヘイトスピーチ対策法が施行された後も、相変わらずヘイトスピーチによる人権侵害は後を絶ちません。このような状況の中で、私たちがヘイトスピーチからマイノリティの個人の尊厳を守るための不断の努力を続けることは、まさしく憲法によって課せられた(憲法12条)私たちの重大な責務です。そして、それは私やあなたがマイノリティのために果たすものではなく、私やあなたが尊厳ある一人の人間として生きるために果たすべきものなのです。