「外国人の人権問題」としてよく議論になるテーマの一つが、「永住外国人の参政権」です。これについて1995年2月28日の最高裁判決は、永住外国人の地方参政権に関して「法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である」と判示しています*1。
もちろん、永住外国人の地方参政権を認める、この最高裁判例の結論は妥当です。しかしながら、この判例の「法律をもって……選挙権を付与する」という点に、私はどうしても疑問を禁じ得ません。
永住外国人の参政権は、はたして法律という「国民の意思」によって付与されるものなのでしょうか。この問いに対して、「それが民主主義だ」と答える人も少なくないでしょう。しかし、むしろ私は「民主主義の本質」に鑑みて、永住外国人の参政権を法律という「国民の意思」によって付与されるものと考えることに疑問を覚えるのです。
民主主義の本質は、「治者と被治者の自同性」、すなわち治めるものと治められる者が同一であることです。それゆえ、日本が民主主義国家であるならば、納税など日本国籍者と同様の義務を負う「被治者」である永住外国人も当然「治者」であるはずです。しかるに、日本では永住外国人に参政権がなく、永住外国人は「被治者」であるにもかかわらず「治者」ではないのですから、日本は民主主義国家ではないとは言わないまでも、やはり日本は完全な民主主義国家ではないと言わざるを得ないでしょう。つまり、永住外国人の参政権を実現することは、「外国人参政権の実現」ではなく、「完全な民主主義の実現」なのです。
このように、永住外国人の参政権は「民主主義の本質」から要請されるものであって、決して「国民」という特権階級から与えられるものではありません。そして、国際人権規約B規約*2第25条に鑑みれば、それは人権の普遍性から要請されるものであるともいえるでしょう。