あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

辺野古新基地建設は、「環境保護」と「沖縄の民意」の問題でしかないのだろうか?

mainichi.jp

 

まず、はじめにお断りしておきますが、私は、辺野古新基地建設が「環境保護」と「沖縄の民意」の問題であることを否定するつもりはまったくありません。辺野古の豊かな海を破壊し、「沖縄の民意」を踏みにじる日本政府の暴挙を許せない気持ちは、私も同じです。

しかしながら、辺野古新基地建設を「環境保護」、あるいは「沖縄の民意」の問題としてしかとらえない昨今の風潮には、私はどうしても違和感を覚えてしまいます。それというのも、辺野古新基地建設は、「環境保護」、あるいは「沖縄の民意」の問題にとどまらない問題だからです。もちろん、私は「『環境保護』、あるいは『沖縄の民意』の問題にとどまらないのは、辺野古新基地建設が『国益』にかかわる問題だからだ」などと言いたいのではありません。私が言いたいのは、辺野古新基地建設は、なによりもまずアメリカの戦争に日本が加担することであって、それは「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」(日本国憲法前文)である「平和的生存権」という人権を侵害する問題である、ということです。

在日米軍基地建設は、自然環境さえ破壊しなければ、あるいは「沖縄の民意」に反しなければ許されるのでしょうか。思うに、在日米軍基地の存在がアメリカの戦争に平和憲法を持つ国であるはずの日本が加担するものである以上、たとえ自然環境を破壊しなくても、あるいは「沖縄の民意」に反しなくても、在日米軍基地建設は日本国憲法の基本原理である平和主義に違反し、平和的生存権を侵害するものであって、許されないのです。なお、平和的生存権は人権ですから、「日本人固有の権利」ではなく、人種、性、身分などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる普遍的なものです。それゆえ、米軍基地が存在することで日本が標的にされ、日本人が戦争被害にあうおそれがある云々以前に、日本がアメリカの戦争に加担することで間接的に戦争加害者になることが問題なのです。

辺野古新基地建設を「環境保護」、あるいは「沖縄の民意」の問題としてしかとらえない人は、沖縄の美しい海や沖縄県民の姿は見えているのでしょう。しかし、はたして彼に、辺野古新基地から出撃する米軍によって殺されるであろう人々の姿は見えているのでしょうか。辺野古新基地建設に反対する人は、どうか辺野古新基地から出撃する米軍によって殺されるであろう人々にも想像をめぐらせてください。在日米軍基地は、日本のどこにあろうとそれ自体が、平和憲法を持つ国であるはずの日本がアメリカの戦争という人権侵害に加担することにほかならないのです。「辺野古新基地建設は、沖縄だけの問題ではない」というのは、私はそういうことだと思っています。