あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「政治の話」ではなく、「人権の話」だ。

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そもそも、「芸能人は政治的発言をしてはならない」というのがどうかと思いますが、それはさておき、私は辺野古新基地建設問題を「政治の問題」と捉えることに、どうしても違和感を覚えます。

辞書的な定義によれば、「政治」とは「ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」です(デジタル大辞泉*1。そうだとして、はたして辺野古新基地建設問題は「ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」についての問題でしょうか。

思うに、辺野古新基地建設問題は「社会の対立や利害」の問題ではなく、「全世界の人民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」という平和的生存権、すなわち「人権」の問題です。そうだとすれば、「国益」あるいは「国民のため」などといった理由で平和的生存権という人権を侵害することは、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念である立憲主義の国家では許されないはずです。つまり、辺野古新基地建設に反対する意見を表明することは、国家による人権侵害に異議を唱えることであって、例えば安倍政権を支持するしないといったような「政治の話」ではないのです。

これは、辺野古新基地建設問題に限った話ではありません。日本政府による朝鮮学校差別も「教育を受ける権利」という人権の問題であり、また日本軍性奴隷問題も「個人の尊厳」という人権の問題であって、「政治の話」ではありません。日本社会では、このような(「政治の話」ではない)「人権の話」がタブー視されますが、尊厳ある人間が人権について語ることのいったい何が悪いというのでしょうか。尊厳ある人間が、自由に人権について語ることのできない社会など、およそ「成熟した民主主義社会」であるとは言えません。

私たち一人ひとりが尊厳ある人間として生きるためにも、日本社会に蔓延る「人権の話をタブー視する風潮」は、これを打ち壊していかなければなりません。本拙稿でも、私は「政治の話」をしているのではありません。私は、あくまでも「人権の話」をしているのです。