あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

差別は「人間の本性」の問題ではない

「差別は人間の本性に根ざす現象なのであるから、差別があるのは仕方ないことだ」と言う人がいます。

たしかに、人間誰しも「差別心」を抱いたことは一度ならずともあるでしょう。しかし、差別を「人間の本性」の問題と捉え、「差別があるのは仕方ないことだ」と考えるのは間違いです。

思うに、人間が「差別心」を抱くのは、それが「人間の本性」だからではなく、社会に「差別構造」があるからです。つまり、社会に「差別構造」がなければ、人間は「差別心」を抱きようがないのです。ある人の所属する社会の構造が差別を生み出し、その差別を「是」とする価値観がその社会を支配するから、彼は「差別心」を抱くことができるのです。そして、その「差別構造」は、自然なものではなく、「差別」を必要とする「力を持つ者」によって作られたものです。だから、決して「差別があるのは仕方ないこと」ではないのです。

もっとも、社会に「差別構造」がなかったとしても、人間が「好き嫌い」や「快・不快」という個人的な感情を抱くことはあるでしょう。しかし、そもそも「差別」は人権問題であって、「好き嫌い」という個人的な感情の問題ではありません。おそらく、「差別は人間の本性に根ざす現象なのである」というのは、「差別」という人権問題を「好き嫌い」や「快・不快」というという個人的な感情の問題と履き違えているのだと思います。

さて、こうして考えてみると、「差別は人間の本性に根ざす現象なのであるから、差別があるのは仕方ないことだ」いう言説が、「差別」を必要とする「力を持つ者」によって作られた「差別構造」を温存し、差別を正当化するための詭弁であるということがよく分かるでしょう。差別があるのは、決して仕方ないことではありません。差別を生み出す社会の構造は、それが人間によって作られたものである以上、私たちはそれを壊していくことができるのです。むしろ、私たちは、私たち一人ひとりが「尊厳ある人間」として生きていくためにも、それを壊していかなければなりません。