あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

語り継ぐべき戦争の記憶

明日8月15日は、アジア太平洋戦争における日本の「敗戦記念日」です。毎年この日が近づくと、さまざまなところで「戦争の記憶」が語られます。その趣旨は、悲惨な戦争の記憶を後世に語り継ぐことで、戦争の悲劇を二度と繰り返さない、ということのようです。

もちろん、私はその趣旨に異議を唱えるつもりは全くありませんし、むしろその趣旨には賛同します。しかしながら、そこで語り継がれる「戦争の記憶」には、いささかの疑問を禁じえません。それというのも、そこで語られる「戦争の記憶」の多くが、空襲被害や原爆被害、あるいは過酷な戦場での餓死や病死といった、「日本人」が戦争の被害者である記憶だからです。

たしかに、空襲や原爆投下によって「日本人」が被害を受けたことは紛れもない事実ですし、二度とあのような悲惨な目に遭いたくない、自分の子供たちをあのような悲惨な目に遭わせたくないから、戦争の悲劇を二度と繰り返さない、と考えるのが間違いであるとは言いません。しかし、「被害者」は、決して「日本人」だけではなく、日本が植民地支配しなければ被害に遭わなかったであろう人々もそこに含まれます。そして、なにより日本という国家は、アジア太平洋戦争では韓国と台湾を植民地支配し、中国を侵略し、アジアと太平洋諸島の多くの民族を抑圧し蹂躙した「加害者」なのです。しかるに、「日本人」が戦争の被害者である記憶ばかりを語り継ぐとすれば、日本国民は日本がアジア太平洋戦争で「加害者」であったことを忘れてしまいかねません。そして、日本がアジア太平洋戦争で「加害者」であったことを忘れることは、日本による侵略と植民地支配の美化や正当化につながっていくのです。

もっとも、戦争の悲劇を二度と繰り返さないために「戦争の記憶」を語り継ぐ人々の多くは、日本がアジア太平洋戦争で「加害者」であったことを全く忘れてしまうということはないでしょう。しかし、彼らの中にも、「戦後日本」が憲法9条があるにもかかわらず「帝国の戦争」に加担してきたことをすっかり忘れて「戦後日本は、憲法9条のおかげで戦争に巻き込まれずに済んだ」などと無邪気に言う人が少なくないのは、やはり「日本の加害」について無頓着になってしまっているのだと思います。

戦争の悲劇を二度と繰り返さないために「戦争の記憶」を語り継ぐことは、もちろん大切なことです。ですが、日本の国土さえ戦火に見舞われなければ、あるいは日本人さえ戦争の被害に遭わなければ、それでよいということではありません。日本が関わる戦争の悲劇を二度と繰り返してはならないのです。そのためにも、「日本人」が戦争の被害者である記憶だけではなく、日本という国家が加害者である記憶も語り継がなければなりません。それこそが、真の平和主義実現にとって必要なことであると私は思います。