あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

ヒロシマ

ヒロシマ」、それは「広島」を超越した、人類にとって普遍的なものである。

「広島」は、「ヒロシマとしての広島」と、「廣島としての広島」という、二つの顔を持つ。

世界平和の象徴である「ヒロシマ」、それゆえに「ヒロシマとしての広島」は、「平和都市・広島」だ。

私たちが「広島」と聞いて真っ先に思い描くのは、まさにこの「ヒロシマとしての広島」であろう。

だが、忘れてはならない。「広島」は、「ヒロシマとしての広島」でありながら、今もなお「廣島としての広島」でありつづけている。そして、「廣島としての広島」は、「ヒロシマとしての広島」とは矛盾するものである。

「広島」が抱く、「ヒロシマ」と「廣島」という矛盾。しかし、私たちはそんな矛盾を、すっかり忘れてしまっているようだ。他でもない、「ヒロシマ」によって。

ヒロシマ」は、決して「廣島」を覆い隠し、「廣島」を忘れるためのものではない。むしろ、それは「廣島」を乗り越えるためのものである。

はたして、私たちは「ヒロシマ」によって「廣島」を乗り越えることができているだろうか。