あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

人権は「人間の権利」であって、「国民の権利」ではない。

日本国憲法第11条は「『国民』は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と規定し、また、第12条は「この憲法が『国民』に保障する自由及び権利は……」と規定していることから、日本国憲法による人権の保障が及ぶのは、あたかも「日本国民」だけであるかのように思えるかもしれません。

たしかに、「国民」という条文の文言に拘泥し、「日本国憲法の規定する人権は、日本国民にのみ保障される」とする見解や「憲法の人権規定のうち、『国民は』となっている規定は、外国人には適用されない」とする見解もないわけではありません。しかし、そもそも人権とは、「人種、性、身分等の区別に関係なく、人間であれば当然に享有できる権利」(人権の普遍性)です。しかるに、人権が「日本国民」にしか保障されないとするのは、人権の本質に悖るといえます。したがって、日本国憲法による人権の保障は、権利の性質上「日本国民」のみをその対象としていると解されるものを除き、日本国に在留する「外国人」に対しても等しく及ぶ、とするのが通説・判例*1です。つまり、日本国憲法の規定の「国民」という文言に、特段意味はないということです。

もっとも、前述のとおり「国民」という文言ゆえに「日本国憲法の規定する人権は、日本国民にのみ保障される(すなわち『外国人』には保障されない)」と解する余地がないわけではなく(ただし、そのような解釈が人権の本質に悖るものであることは前述のとおり)、そして、そのような解釈が排外主義あるいは民族差別の煽動に利用されるという問題もあります。それゆえ、やはり、日本国憲法の規定の「国民」という文言は改正されるべきであると私は思います。これこそ、まさに「個人の尊重」という日本国憲法の基本理念に適う、「憲法を護るための改憲」です。

「個人の尊重」という日本国憲法の基本理念を真に実現するには、さらに「国民」の意義そのものを問い直すことが必要です。つまり、「日本」という国を、そこで生活する一人ひとりが尊厳ある人間として生きることのできる国にするには、「同化と排除の論理」に基づいて構築された現在の「日本国民」の概念を、「共生の論理」に基づき新しく構築しなおすことが、ぜひとも必要なのです。