葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「安倍政治」は、「自民党政治」そのものである。

もしかすると、「安倍政権」は、これまでの自民党政権とは異なる「異常な政権」である、という認識の人も少なくないかもしれません。たしかに、私も、安倍政権は「戦後最悪の政権」であると言っても過言ではないと思います。しかし、安倍政権が、これまでの自民党政権とは異なる「異常な政権」である、という見方については、私は懐疑的です。

思うに、「安倍政権」というものは、1955年に始まった「自民党政権」が先鋭化したものであって、決してこれまでの「自民党政権」と根本的に違うものではありません。例えば「教育の右傾化」も、たしかに安倍政権の発足で加速したかもしれませんが、しかし、その萌芽は、少なくとも1982年の自民党鈴木善幸政権下での「第一次教科書問題」(韓国の独立記念館は、この日本政府による歴史修正主義への“カウンター”として設立(開館は1987年)されたものです。)までさかのぼることができます。また、安倍首相が「私の歴史的な使命だ」と言ってはばからない「改憲」も、その時々で温度差はあるものの、自民党が1955年の結党以来ずっと「党是」として掲げてきたものです。そして、喫急の課題である民族差別煽動の問題も、たしかに安倍政権の排外主義が加速させたというのはあるでしょうが、しかし、それは安倍政権以前の自民党政権が長年にわたり行ってきた民族差別的な政策によって醸成された「土壌」によって生み出されたものであるといえます。

残念ながら、安倍政権の批判者の中には、安倍政権以前の自民党政権を「古き良きもの」であるかのように肯定的に評価している人も見受けられます。しかし、安倍政権も安倍政権以前の自民党政権も、根本的に異なるものではありません。たしかに、戦後日本の憲法は、民主的なものへと変わりました。しかし、戦後日本の政治は、帝国主義を克服しないまま今日に至っています。「自民党政治」がいかに帝国主義的であるかは、憲法9条があるにもかかわらずベトナム戦争湾岸戦争……と「帝国の戦争」に加担してきたことや、これまで多くの首相や閣僚が(日本帝国主義による侵略戦争と植民地支配の精神的な支柱であった)靖国神社を参拝してきたことからも窺い知ることができます。「安倍政治」は、そんな「自民党政治」の帝国主義的な性格がむき出しになったものであり、「自民党政治」以外の何ものでもありません。

このように、「安倍政治」が「自民党政治」と何ら変わらないものである以上、単に「安倍政治」を終わらせるだけでは、1955年から今日に至るまで帝国主義を克服しないまま「自民党政治」によって作られてきた日本は決して変わらないでしょう。日本を「誰もが尊厳ある人間として生きることのできる国」に変えるためには、「自民党政治」を終わらせることが是非とも必要であり、「安倍政治」を終わらせることは、そのための第一歩なのです。