あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

憲法9条を本当に守るために

護憲派」の中には、「憲法9条は、国民を守るためにある」と言う人がいます。たしかに、憲法9条を守ることで、国民が戦火から守られることは否定しません。しかし、それはあくまでも憲法9条を守ることで得られる派生的な効果であって、憲法9条の本質ではありません。

残念ながら、「護憲派」にも憲法9条の本質を見誤っている人が少ないないように思えてなりません。憲法9条の本質は、「日本という国に戦争をさせない」ことです。日本という国に戦争をさせないことで人権が守られることはあっても、決して「国民」を守るためのものではありません。つまり、日本国民が戦火から守られさえすれば、日本が加担する「帝国の戦争」によって他国が戦火に見舞われようとかまわないというのは、憲法9条の趣旨に悖る態度であるといえます。

もっとも、日本の「平和教育」のあり方に鑑みると、「憲法9条は、国民を守るためにある」という誤解が生じるのも致し方ないのかもしれません。なぜなら、日本の「平和教育」は、「日本(人)が被った戦争被害を通じて戦争と平和を学ぶ」ことに重点が置かれているからです。私は、決して「日本(人)が被った戦争被害を通じて戦争と平和を学ぶ」ことを否定するつもりはありませんし、「日本人」もまた戦争の被害者であったことを否定するつもりもありません。しかし、「日本」が戦争の加害者であったことは紛れもない事実であり、それこそが、なによりもまず日本国民が主体的に反省しなければならないものです。しかるに、「日本(人)が被った戦争被害を通じて戦争と平和を学ぶ」ことに重点が置かれている戦後から現在に至るまでの「平和教育」(右派は「戦後日本の平和教育」を「自虐史観」だなど批判しますが、私からしたらあの程度のものは、まだまだ「自分に甘い」ものです。だから、今になって「戦後平和国家」に綻びが出始めているのです。)は、過去の戦争での「日本の加害者性」を忘却させ、現在の戦争での「日本の加害者性」に無頓着な国民を育てる危険をはらむものであり、憲法9条の真の趣旨にかなうものとはいいがたいものです。

護憲派」の諸姉諸兄が憲法9条を本当に守ることを希求するのであれば、どうか「憲法9条のおかげで戦後日本は戦争に巻き込まれずに済んだ」という認識を改めてください。憲法9条の「現在の危機」は、単に安倍政権が誕生した結果だけではなく、「戦後『平和国家』日本」が朝鮮戦争ベトナム戦争といった「帝国の戦争」に加担し、憲法9条を蔑ろにしてきたことが積み重なった結果なのです。

もちろん、憲法9条を守るために「アベ政治を許さない」ことも大切でしょう。しかし、それだけではなく「戦後『平和国家』日本」が憲法9条があるにもかかわらず「帝国の戦争」に加担しその恩恵にあずかってきたという史実と向き合うことが、憲法9条を本当に守るために必要なことであると、私は思うのです。