あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

「嫌韓」と「反日」という言葉から滲み出る傲慢さ

(記者有論)日本と韓国 「普段着」の関係、伝えたい 桜井泉:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/DA3S13229745.html

 

朝日新聞の桜井記者が「『普段着』の日韓関係」を伝えたいとお考えになるのは、大変結構なことだと思います。また、「『普段着』の日韓関係」を知ることで「無知からくる偏見」を取り払うことも、もちろん大切なことだと思います。

しかし、その前に桜井氏は、どうして「嫌韓本」と「平和の少女像」を同列に並べて語ることに疑問を抱かないのでしょうか。「嫌韓本」が他民族を蔑視し民族憎悪を煽動するものであるのに対して、「平和の少女像」は戦時性暴力という人権侵害を肯定することに抗議するものです。しかるに、「嫌韓本」と「平和の少女像」を同列に並べて語ることは、愚劣であると言わざるを得ません。もし桜井氏が「平和の少女像」を「日本に対する嫌がらせ」だと考えているのなら、私は桜井氏の記者としての見識を疑います。

否、聡明な朝日新聞の記者の方が「平和の少女像」の意義をお分かりにならないなどということはないでしょう。ですが、分かっているのに分からないふりをするというのは、むしろ性質が悪いといえます。

そもそも、「嫌韓」と「反日」という言葉をなんの留保もなく使うというのは、「日本国民の傲慢」だと私は思います。なぜなら、「嫌韓」というのはあくまでも「好き嫌いの問題」であって「好きも嫌いも『日本(国民)』の自由」である一方、「反日」というのは「日本」に反抗することを「許されざる悪」とするものであるからです。つまり、「嫌韓」と「反日」という言葉は、どこまでも「自分本位」な、傲慢さが滲み出る言葉だということです。

残念ながら、「韓国=反日という単純な図式」などというものの存在それ自体に疑念を抱かない桜井氏の「まなざし」は、「植民者」のそれに他なりません。そのような「まなざし」によって眺めれらた「『普段着』の日韓関係」とは、はたしていかなるものでしょうか。