あしべの自由帳

芦部ゆきとが言いたいことを書き綴るだけの、そんな「自由帳」です。

日本資本による搾取も、外国資本による搾取も、唾棄すべき搾取であることに変わりはない。

近年、韓国や中国といった(日本以外の)アジア諸国の企業が躍進する一方で、日本企業は凋落の一途をたどっています。その結果、これまで「外国人」を「雇う側」であった日本人は、「外国人」に「雇われる側」になりつつあります。私は、そのこと自体を批判するつもりは毛頭ありませんし、むしろ私は、日本人が「外国人」に「雇われる側」になることを嫌悪するような排外主義的な態度を批判します。

しかしながら、私は、そのような日本企業の凋落によって外国の資本に日本人が雇われる側になりつつある現象を手放しで礼賛する気にはなれません。なぜなら、例えば日本資本による中国人民の搾取も、中国資本による日本人民の搾取も、唾棄すべき搾取であることに変わりはないからです。残念ながら、日本企業の凋落によって外国の資本に日本人が雇われる側になりつつある現象を礼賛する人たちは、その点を看過しているように思えてなりません。

おそらく、彼らの「外国資本礼賛」には、これまで搾取の限りを尽くしてきた日本資本に対する反感というのもあるでしょう。これまで搾取の限りを尽くしてきた日本資本は非難されてしかるべきです。しかし、これまで他国の人民を搾取してきた日本資本が弱体化したことで、日本の人民が外国資本に搾取されるようになりつつある現象を嘲笑うような風潮には、やはり私は抵抗感を覚えます。もちろん、これまで日本資本によって他国の人民が搾取されるのを嘲笑ったり黙認してきた日本国民が猛省すべきであることは言うまでもありません。ですが、だからといって外国の資本によって搾取されるようになりつつある日本の人民を嘲笑うような人は、これまで日本資本による搾取を容認してきた日本国民と「同罪」です。それに、外国の資本によって搾取されるようになりつつある日本の人民を嘲笑うことは、これまで日本資本に搾取されてきたアジア諸国の人民を嘲笑うのと同じことです。

私自身、「日本」には批判的な人間ですから、「日本企業」を批判することは大いに結構なことだと思います。ですが、やはり批判の対象を見誤ってはなりません。批判すべきなのは、あくまでも「資本による搾取」なのです。