あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「韓流」は、はたして「歴史を忘却させるためのコンテンツ」でしかないのだろうか。

(耕論)多難な日韓関係 小倉和夫さん、徐永娥さん、古家正亨さん

朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/DA3S12832218.html

 

朝日新聞2017年3月9日付朝刊オピニオン面に掲載された韓国大衆文化ジャーナリスト・古家正亨氏のオピニオン記事を好意的に受け止める人は、どうやら少なくないようです。

それはおそらく、この記事が「“日韓”友好」を謳ったものだからでしょう。

ですが、このような「植民地主義」に満ちたまなざしで書かれた(私は、このオピニオン記事の聞き手である朝日新聞論説委員・箱田哲也氏によるコラムの「自分は韓国人でなくて良かったと思う」という一節を、忘れることができません。)オピニオン記事を好意的に受け止めることは、私にはどうしてもできません。

古家氏の意見を要約すれば、それは「韓国の若者は『親日』であるのに、日本の在外公館の前に少女像を作るような『反日』韓国人のおかげで、日本人が韓国に悪い印象を抱く」というものです。

古家氏はどうして、そのような「日本」本位なまなざしでしか「“日韓”関係」を眺めることができないのでしょうか(「古家氏が『日本人』なのだから、それは当然のことだ」と言う人がいるかもしれませんが、「『日本人』なのだから当然」というところで思考を止めてしまって、はたして良いものなのでしょうか。)。

古家氏の、「歴史問題をかざして日韓〔ママ〕関係をあえてややこしくする大人がいるが、せっかく若い世代が新しい関係性を作ろうとしているのだから、大人はそれを邪魔するべきではない」という旨の主張にも、私は疑問を禁じえません。「日本による植民地支配の歴史」から目を背けたまま構築されるような「“日韓”関係」に、いったいどれほどの意義があるのでしょうか。思うに、そのようにして築かれる(古家氏の言う)「良質な“日韓”関係」なるものは、所詮は「日本にとって都合の良い“日韓”関係」でしかありません。

もっとも、「日本による植民地支配の歴史」から目を背けていたい人にとっては、古家氏の主張は「至極正論」なのかもしれません。ですが、古家氏の主張は、「韓流」を「『日本による植民地支配の歴史』を忘却させるためのコンテンツ」とするものでしかありません。はたして、本当に「韓流」は「『日本による植民地支配の歴史』を忘却させるためのコンテンツ」でしかないのでしょうか。

古家氏は、「昨今の日韓〔ママ〕関係の悪化によって、日本の韓流ファンが踏み絵の前に立たされている」という趣旨のことを言います。たしかに、「外で堂々と韓流に関する話ができなくなっている」昨今の日本の状況については、私も憤りを覚えます。しかし、だからといって「日本人」が「韓流」を心地良く消費できさえすれば、それで良いのでしょうか。さらにいえば、「日本人」が「韓流」を心地良く消費するために「韓流」が「『日本による植民地支配の歴史』を忘却させるためのコンテンツ」として利用されることで、「人間の尊厳」を踏みにじられ続ける人がいても構わないのでしょうか。

結局のところ、古家氏の言う「良質な“日韓”関係」すなわち「日本による植民地支配の歴史」から目を背けたまま構築される「“日韓”関係」は、(“日韓”基本条約が締結された)「日本の内にある、1965年以降の新たな植民地支配の関係」でしかないでしょう。私がなによりも残念に思うのは、(冒頭でも触れましたが)そのような関係を「良質な“日韓”関係」だとする古家氏の言説に賛意を示す「韓国に対して好意的な人」が少なからず見受けられる、ということです。このような状況が続くかぎり、韓流スターやK‐POPアーティストは「反日親日フィルター」によって選別され、言葉は悪いですが「日本人」を癒す「従順なペット」でいることを強いられ続けるでしょう。例えば、韓国のある俳優さんが、ある韓国のテレビ番組で日本軍性奴隷被害者を後援するTシャツを着ていたという、つまり戦争犯罪の被害者支援を表明したというそれだけの理由で、日本のインターネット上で「反日だ」と非難されるように……