あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「トランプ氏の勝因は、行き過ぎたポリコレへの反発」などではない。

トランプ氏勝利後、数え切れないほどのヘイトクライムが全米に広がる http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/11/hate-since-trump-win_n_12921794.html

 

このほど行われたアメリカ合衆国大統領選挙では、ドナルド・トランプ氏が当選しました。ご存知のようにトランプ氏は、これまでイスラム教徒や移民への排外主義的な発言などで物議をかもしてきました。それゆえか、トランプ氏の勝因について「行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発だ」などという言説がまことしやかに語られています。

しかしながら、そのような言説は正しくありません。

思うに、トランプ氏の「勝因」は、「行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発」などではありません。トランプ氏を生み出したのは、紛れもなくネオリベラリズムあるいはグローバリズム(という名の現代帝国主義)です。つまり、トランプ氏という「メシア」の出現を渇望し、トランプ氏の勝利を後押ししたのは「(ネオリベラリズムあるいはグローバリズムの犠牲者である)弱者」の怨念が他の「弱者」に向けられるという「歪んだルサンチマン」です。そして、そのような「歪んだルサンチマン」が社会に蔓延している点では、日本も例外ではありません。

しかるに、「歪んだルサンチマン」を生み出す要因を看過し、「歪んだルサンチマン」に支えられた「排外主義的価値観(ここはあえて「価値」という言葉を使いたいと思います)の勝利」という事象だけを切り取って「トランプ氏の『勝因』は、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発だ」などとする論評は、浅薄に過ぎると言わざるを得ません。

このような「反ポリコレ勝利」論批判に対して「反ポリコレ勝利」論者は、おそらく「行き過ぎたポリティカル・コレクトネスに反発しているのは経済的・社会的弱者だけではない。経済的・社会的強者もそれには反発している」と反論するでしょう。しかしながら、「経済的・社会的強者」もネオリベラリズムあるいはグローバリズムによって生み出される「不安」に怯える者であるという点で、やはり「弱者」にほかならないのではないでしょうか。そしてまた、「反ポリコレの勝利」だなどと言うこと自体が、己の不安あるいは苦悩の原因を「マイノリティによるプロテスト」に求めるような「歪んだルサンチマン」の発露にほかなりません。

もっとも、ネオリベラリズムあるいはグローバリズムと排外主義的なナショナリズムとの「共犯関係」については、これまでも多くの識者によって繰り返し語られてきました。それにもかかわらず、「批評家」諸氏によって「トランプ氏の『勝因』は、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発だ」などという言説がまことしやかに語られるのは、おそらくこのような言説に対する「消費者の需要」があるからだと思います。そうだとすれば、日本ではトランプ氏の勝利それ自体よりも、むしろ「トランプ氏の『勝因』は、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスへの反発だ」などという言説に対する「消費者の需要」があることにこそ危機感を持つべきではないでしょうか。