葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

小池都知事は、その排外主義的な態度を即刻改めるべきである。

小池都知事「朝鮮学校に都民の税金使えない」 : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/topics/20160909-OHT1T50050.html

残念ながら、小池都知事のこの発言に違和感を覚えない「都民」は少なくないのかもしれません。

しかし、小池都知事のこの発言が理不尽なものであることは、少し考えれば容易に分かるかと思います。

すなわち、朝鮮学校に子供を通わせている在日朝鮮人の方々も、日本国籍者である「都民」と同様に都民税を負担しています。そうだとすれば、在日朝鮮人の方々が納めた都民税も、紛れもなく「都民の税金」であるはずです。それにもかかわらず、どうして小池都知事は「朝鮮学校に都民の税金使えない」などと言うのでしょうか。(都民税を負担しているにもかかわらず)在日朝鮮人の方々は「都民」ではないとでもいうのでしょうか。

小池都知事のこの発言は、「都民の血税の適切な使用」という「正論」を装いながら、その実は在日朝鮮人の排除を目的とする排外主義的なもの以外のなにものでもありません。

韓国学校に関する「ここは東京であり、そして日本」という発言もそうですが、小池都知事の排外主義的な態度にはまったく呆れてしまいます。

そもそも、在日朝鮮人の方々が朝鮮学校を設立するきっかけを生み出したのは、他でもない帝国主義的暴力によって朝鮮民族から言語や文化を奪った「日本」自身です。そうだとすれば、帝国主義的暴力によって朝鮮民族から言語や文化を奪った責任として、むしろ「日本」の政府や自治体は朝鮮学校を支援するのが筋だといえるでしょう。それにもかかわらず、支援するどころか国家をあげてこれを排除しようとすることは、それこそ朝鮮民族の方の主体的な人間としての尊厳を踏みにじる「重大な人権侵害」だと言わざるを得ません。

以前のエントリでも述べましたが、たとえ小池都知事が「民主主義的」な手続(はたして、本当に「民主主義的」であるかはさておき)によって選ばれようと、民主主義は排外主義やレイシズムを許容するものではないのですから、排外主義的な態度が許されることはありません。小池都知事は、その排外主義的な態度を即刻改めるべきです。

私は、本稿をもって小池都知事の一連の排外主義的な発言に断固抗議します。