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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

民主主義をレイシズム容認の言い訳にしてはならない

先の東京都知事選では、「ここは日本」だなどという、まるで排外主義者が述べるような理由で東京都による韓国学校の移転支援計画を白紙撤回し、また、街頭演説で「ただただ有耶無耶のなかでどんどんと外国の労働者が増えていくということは、これは治安の関係からも、大いに問題だ」などという、排外思想が透けて見える言説を繰り出した*1小池百合子氏が都知事に当選しました。のみならず、排外主義団体の元会長が都知事選に出馬し、選挙演説に名を借りてヘイトスピーチを繰り出したあげく、当選こそしなかったものの11万票以上を獲得しました。

こうした状況を見て、もはや排外主義やレイシズムは「民意」によって容認された、と考える人がいるかもしれません。しかし、そのような考えは間違いです。

思うに、民主主義とは、平たく言えば一人ひとりが政治の主人公だという建前であって、政治的少数派に対して政治的多数派への隷属を強いるものなどでは決してありません。そして、民主主義が一人ひとりが政治の主人公だという建前であることに鑑みれば、その究極の目的は、個人の尊厳を確保することであるといえます。しかるに、個人の尊厳を確保するための手段である民主主義が、個人の尊厳を踏みにじるものである排外主義やレイシズムを容認すると考えるのは、民主主義の趣旨にもとるものといわざるを得ません。

このように、民主主義は排外主義やレイシズム容認の言い訳には到底なりえません。たとえ排外主義的あるいは人種・民族差別的な政策が政治的多数派の意思に基づくものであったとしても、それに服従するのではなく、むしろそれに対して異議を申し立て、批判し、抵抗することこそが、民主主義の理念に沿うものであると私は思います。