あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

アニメや漫画などの表現の自由が守られるだけでは、アニメや漫画などの表現の自由を守ることはできない。

アニメや漫画などの表現に対する規制に反対する人の中には、「アニメや漫画などの表現の自由さえ守られれば、その他の表現の自由は守られなくても構わない」と考えている人がいるかもしれません。しかし、そのような考えは間違っています。私が思うに、アニメや漫画などの表現の自由が守られるだけでは、アニメや漫画などの表現の自由を守ることはできません。

よく、「アニメや漫画などの表現の自由を守るためには、アニメや漫画などの表現の自由を守ってくれる政治家を支持すべきだ」という言説を見聞きします。私はその言説にいささか違和感を覚えますが、しかしそれも一つの方法であることを否定するつもりはありません(もっとも、たとえ「アニメや漫画などの表現の自由を守ってくれる政治家」であろうと、排外主義政策を掲げるような人を支持することには、到底賛同できません。)。それはさておき、その言説を支持する人が忘れてはならないのは、「政治的表現の自由が保障されてはじめて、政治家はアニメや漫画などの表現の自由を守るために自由に活動することができる」ということです。そしてまた、「アニメや漫画などの表現の自由を守れ」という主張それ自体が、紛れもなく「政治的表現」そのものだということです。

残念ながら、オタク諸氏の中には「政治的表現」を忌避する人も少なくないようです。ですが「政治的表現の自由が保障されてはじめて、アニメや漫画の表現の自由を守ることができる」ということを、どうか忘れないでください。

なお、表現の自由は「恩恵として与えられるもの」などでは決してありません。ですから、「アニメや漫画などの表現の自由を守ってくれる政治家」を無批判的に支持するだけでは、本当の意味で表現の「自由」を守ることはできないということを、最後に付言しておきたいと思います。