あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

思うに、「ヘイトスピーチ対策法」反対論者は「思想の自由市場」論を誤解している。

先般施行された「ヘイトスピーチ対策法」反対論者は、反対論の論拠としてしばしば「思想の自由市場」論を持ち出します。

たしかに、民主主義社会においては言論には言論で対抗するのが原則です。しかし、私にはどうしても、彼らが「思想の自由市場」論を「各人が好き勝手に自分の思うことを言い放つ自由を尊重する」考え方であると誤解しているように思えてなりません。

「思想の自由市場」論は、「各人が好き勝手に自分の思うことを言い放つ自由を尊重する」考え方などではなく、「国家の介入がなく、すべての思想が市場に登場することを認めれば、自由競争により、表現の自由を支える価値である人格の実現や民主主義過程の維持保全にとってよい結果が達成されうる」という考え方です。そうだとすると、「◯◯人を殺せ」や「◯◯人は寄生虫だ」、あるいは「◯◯人を日本から追い出せ」などといったヘイトスピーチが、はたして表現の自由を支える価値である人格の実現や民主主義過程の維持保全に資するものといえるでしょうか。また、「自由競争」の前提として、はたして言論空間の平等が確保されているといえるでしょうか。未だ政府が民族差別政策をとり、一部のマスメディアが「報道の自由」に名を借りた民族差別煽動を繰り返している現状に鑑みると、ヘイトスピーチに対する対抗言論がどれほど有効であるかは、甚だ疑問です。

つまり、ヘイトスピーチはそもそも「思想の自由市場」論の趣旨に悖るものであって、「ヘイトスピーチ対策法」反対論の論拠として「思想の自由市場」論を持ち出すのは妥当ではないと思います。もっとも、反対論者は「ヘイトスピーチは『思想の自由市場』論の趣旨に悖る」という価値判断さえも否定するかもしれません。ですが、私はそのようなニヒリスティックな考えには到底賛同できません。

2016年6月2日に、在日コリアンの排斥を訴えるヘイトスピーチデモの主催者に対して出された仮処分決定*1で、裁判所は、ヘイトデモを「人格権に対する違法な侵害行為に当たる」と認定し、その違法性が顕著であれば「憲法が定める集会や表現の自由の保障の範囲外」であると判示しています。ヘイトスピーチ憲法で保障される「表現」であると信じて疑わず、「思想の自由市場」論に固執する「ヘイトスピーチ対策法」反対論者は、裁判所がなぜヘイトデモ(スピーチ)の違法性が顕著であれば憲法が定める集会や表現の自由の保障の範囲外であると判示したのか、そしてそもそも憲法がなぜ「表現の自由」を基本的人権として保障したのか、その趣旨を今一度よく考えて欲しいと思います。

 

*1:ヘイトデモ:接近禁止の仮処分決定 横浜地裁支部 - 毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20160603/k00/00m/040/075000c