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あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「護憲」とは、憲法を全く変えないことではない。

安倍首相:改憲あらためて意欲「9条議論は尚早」 - 毎日新聞

http://mainichi.jp/articles/20160205/k00/00m/010/090000c

 

おそらく、安倍首相をはじめ多くの「改憲」論者は、「『護憲』とは、憲法を全く変えないことである」と思っているのでしょう。ですが、「『護憲』とは、憲法を全く変えないことである」というのは誤解だといえます。

思うに「護憲」とは、憲法を変えないということなどでは決してなく、究極的には「国家権力を制限して個人の権利・自由を守る」という、「(本来的意味の)憲法の理念を護る」ということです。

世間一般では、「護憲」と「改憲」がそれぞれ対義語であるかのように捉えられていますが、しかし「護憲」は「改憲」と何ら矛盾するものではありません。すなわち、(本来的意味の)憲法の目的である「個人の権利・自由」の確保を強化するような「改憲」であれば、「護憲」の立場からも許されないものではなく、むしろそれを積極的に肯定すべきであるといえます。

こうしてみると、安倍首相の護憲論者に対する「(護憲論者のように、憲法に)指一本触れてはならないと考えると思考停止になる」との批判がいかに的外れであるかがお分かりになるでしょう。護憲論者は、「改憲すること」そのものに反対しているのではありません。自民党憲法改正草案が(本来的意味の)憲法の理念に反するものであるから、安倍首相の望む「改憲」に反対しているのです。

もちろん、「国民の主権は絶対的であるから、憲法改正手続によりさえすれば、いかなる内容の改正も許される」という考え方も、一つの考え方としてはあるでしょう。しかし、そのような考え方は憲法の存在意義を失わしめるものであり、到底私は賛同できません。

そもそも「護憲」の対義語は、はたして「改憲」なのでしょうか。つまり、「護憲」が「改憲」の対義語として捉えられていることが、「『護憲』とは、憲法を全く変えないことである」という誤解のはじまりだと思うのです。そこで、「護憲」の対義語について考えてみると、それは「憲法の理念を破壊すること」、すなわち昨今巷でよく言われる「壊憲」であると言えましょう。安倍首相の望む「改憲」は、まさしくこの「壊憲」だからこそ、護憲論者から批判されるのだと思います。もっとも、こんなことを言うと安倍首相は「レッテル貼りだ」と激怒されるかもしれませんが……。