あしべの自由帳

こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく。主にラブとピースとエロスにまつわるetc.について考えています。

「ゲンダイアート」批判序説

「ゲンダイアート」なるものがいったい何なのか、私にはよく分かりません。ですが、その界隈の人々の言動から推察するに、どうやらそれは「タブーを侵犯する」ものであるようです。また、「ゲンダイアート」界隈の人の中には、「アーティストって肩書きは『人権侵害します』って意味だ」などと言ってはばからないような人もいます。

たしかに、芸術に「タブーを侵犯することで人々にカタルシスをもたらす」というエロティシズム的側面があることは、私も否定しません。しかし、それでも私には、昨今の「ゲンダイアート」がひどく軽薄なものに思えてなりませんし、そう思うのは私だけではないはずです。

昨今の「ゲンダイアート」がひどく軽薄なものに思えるのはなぜか。おそらくそれは、次のようなことによるのだと思います。すなわち、たしかに「芸術」がカタルシスをもたらすものであるためには、前提としてタブーが必要です。そして、ちょうど断罪しようとすればするほど、黒いエロティシズムが聖なる輝きを放つように、タブーが頑強な壁であればあるほど、その侵犯によって強烈なカタルシスがもたらされるはずです。ですが、残念ながら「ゲンダイアート」界隈の芸術家を自称する人が侵犯するタブーは、その侵犯によって強烈なカタルシスがもたらされるほど頑強な壁であるとはいえないでしょう。というのも、彼らが嬉々として侵犯する、「社会的劣位に追いやられている人の尊厳を蹂躙してはならない」という「(括弧付きの)タブー」は、既にマジョリティと彼らに支えられた権力者によって踏みつけられ壊されてしまっているからです。

また、「アーティストって肩書きは『人権侵害します』って意味だ」などと言ってはばからないような人は、そもそも人権について盛大に勘違いしています。どうやら彼は、人権を「近代的制度」だと思っているようですが、それは誤解です。なぜなら、人権は国家よりも前にある、人が人であることによって当然に享有する権利であって、近代的「制度」などではないからです。もっとも、政権ですら「人権はお上の恩寵である」と思っているフシがある、そんな国の「臣民」であれば、誤解するのも致し方ないのかもしれませんが……。

そもそも芸術というのは、「人間」があってはじめて成り立つものであると思います。しかるに、人権という「『人間』であること」を否定するのが「芸術」だとするのは、芸術の「自殺行為」以外の何ものでもない……そう思うのは私だけでしょうか。