葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

「嫌萌」批判論序説

昨今、インターネット上でしばしば見聞するのが、いわゆる「萌えキャラ」広告に対する批判です。

先般の「『のうりん』ポスター」問題については、以前のエントリでも述べましたが、イラストの構図に関しての批判は甘受すべきだというのが私の考えです。

ですが、たとえば京都市交通局の「萌えキャラ」広告のように、これといって女性の性的なシンボルというべき部分を強調したりするようなものではないイラストについても、「女性を男の性的欲望の対象とするものであって不快である」と批判するのは、どうも筋が違うような気がしてならないのです。それは私が「無神経なオタク男だから」だ、と言われればそれまでですが、しかしそんな「無神経なオタク男」の私でも、さすがに京都市交通局の「萌えキャラ」に対しては、ちょっとした仕草や表情を「可愛い」とは思っても性的興奮を覚えたりはしません。

たしかに、先般の「『のうりん』ポスター」のイラストに関しては、主観的にはどうであれ、「おっぱい」といった女性の性的なシンボルというべき部分を強調するものであることに鑑みれば、客観的には「男の性欲を刺激する」ものであると批判されても致し方ないとは思います。

しかし、京都市交通局の「萌えキャラ」広告のイラストように、これといって女性の性的なシンボルというべき部分を強調するようなものでなければ、やはり客観的には「男の性欲を刺激する」ものではないと考えるのが妥当ではないでしょうか。「たとえ女性の性的なシンボルというべき部分を強調するようなものでないとしても、セックスを連想させるものだ」と言われても、そんなことはないとしか言いようがありません。つまり、非エロティックな(もっとも、萌え絵を批判するような人からすれば、萌え絵は全てエロティックでしょうが)萌え絵が男の性欲を刺激するものであるかどうかなどという議論は、どこまで行っても平行線でしょう。

私が思うに、「フェミニズム」の見地からの「萌え絵」批判において、「『萌え絵』は女性差別である」という結論そのものは(賛否は別として)正しいでしょう。ですが、「女性を男の性的欲望の対象とするものであるから女性差別である」というのは、どうも文脈がズレてしまっているような気がしてならないのです。つまり何が言いたいかというと、「萌えキャラ」広告に対する批判は、「男の性欲の問題」という文脈ではなく、いわゆる「ジェンダーフリー」論という文脈でなされるべきである、ということです。

おそらく、萌え絵を嫌悪する「フェミニスト」諸姉諸兄は、「萌え」を「性的興奮を覚えること」だと思っていらっしゃるのでしょう。しかし、それは誤解です(我々オタクも「フェミニズム」を多分に誤解しているでしょうが)。

私が非エロティックな「萌え絵」のちょっとした仕草や表情に対して感じるのは、女性ならではの魅力としての可愛さ、すなわちいわゆる「フェミニンな可愛さ」なのです。だからこそ、「フェミニスト」諸姉諸兄は、「萌え絵」は「女性を男の性的欲望の対象とするものであるから」とではなく、「『女性らしさ』をアピールするものであるから」女性差別である、と批判すべきだと私は思うのです。

しかしながら、「『萌え絵』は『女性らしさ』をアピールするものであるから女性差別である」と言うのであれば、(できれば「○○を批判するならば××も△△も批判しろ」というようなことは言いたくないのですが、「ジェンダーフリー」論に普遍的妥当性を持たせるためにも)、「萌え絵」以外のあらゆる「フェミニンな可愛さ」を売りとするもの(「売りとする」などという言葉を使うと、これまた誤解を招きそうですが)を批判すべきでしょう。少女漫画然り、 レディースファッション然り、女性向けインテリア然り……。

もちろん私も、「女(男)らしさ」といったものが押し付けられるような社会には反対です。ですが、「フェミニンな可愛さ」を価値として肯定することは、「自由な人間」であれば、許されてしかるべきだと思うのです。そうして、「萌え絵」を見ることを通じて「フェミニンな可愛さ」を価値として肯定することもまた、許されてしかるべきでしょう。

「否、それを許してしまえば、いつまでたっても女性差別は解消されない」とフェミニスト諸姉諸兄は言うかもしれません。しかし、「フェミニンな可愛さ」といった、女性自らポジティブなものとして肯定しうるような(「萌え絵」に関しても、これを愛好する女性が少なからず存在することは紛れもない事実です)価値を否定することが、はたして女性差別の解消につながるといえるでしょうか。私には、「差異」だからというだけで、あらゆる差異を廃絶することが差別の解消につながるとは、どうしても思えないのです。

それでもなお、「フェミニスト」諸姉諸兄が「女性差別を解消するためには、この世から『フェミニンな可愛さ』を売りとするものなど無くすべきである」と言うのであれば、致し方ありません。ですが、この世から『フェミニンな可愛さ』を売りとするものを無くすといったいわば「文化革命」の行き着く先は、無機質なファシズムの支配するディストピアとしか思えないのは、はたして私が「無神経なオタク男」だからでしょうか。