葦辺の車家ブログ

自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない車家(くるまや)ゆきとが感じたこと・考えたことをそこはかとなく書き綴ります。

抗日記念館が「反日」施設ならば、ホロコースト記念館は「反ドイツ」施設なのか?

日本では、韓国や中国に存在する、いわゆる「抗日記念館」を「反日施設」だと言う人が少なからずいます。そのような人に問いたいのですが、もし「抗日記念館」が「反日施設」ならば、世界各地に存在する、いわゆる「ホロコースト記念館」は「反ドイツ施設」なのでしょうか。

こんなことを問うと、どうやら「愛国者」を自称する人々の怒りを買ってしまうようです。彼らは、「オマエは日本がナチス・ドイツと同じだとでもいうのか」と私を批判します。おそらく彼らは、「日本は先の大戦で、ナチス・ドイツのような虐殺などしていない」と言いたいのでしょう。しかし、私は歴史の専門家ではありませんし、「日本は先の大戦で、ナチス・ドイツのような虐殺を行ったか否か」を議論するつもりは毛頭もありません。また、一部の(いわゆる)「リベラル派」の、何でもかんでも日本をナチス・ドイツになぞらえて批判する論調は、ずいぶんと雑な論調だと思っています。

どうやら「愛国者」諸姉諸兄には、「もし『抗日記念館』が『反日施設』ならば、世界各地に存在する、いわゆる『ホロコースト記念館』は『反ドイツ施設』なのだろうか」と問うだけでは、私の真意を理解していただけないようです。

記念館設立の趣旨の趣旨に鑑みれば、「ホロコースト記念館」が展示を通じて非難しているのは、「ドイツ」という概念でも現在のドイツという国家でもなく、「ナチズムとそれが果たした歴史的犯罪」であることに、おそらく異論はないでしょう。つまり、「ホロコースト記念館」は「反ナチズム施設」ではあっても、「反ドイツ施設」などでは決してない、ということです。

同様に、記念館設立の趣旨の趣旨に鑑みれば、「抗日記念館」が展示を通じて非難しているのも、「日本」という概念でも現在の日本という国家でもなく、「日本帝国主義とそれが果たした歴史的犯罪や植民地支配」であるというべきでしょう。つまり、「抗日記念館」は「反日帝国主義施設」ではあっても、「反日施設」などでは決してない、ということです。それとも、現在の日本という国家は未だ日本帝国主義と決別しておらず、それゆえに日本帝国主義を批判することは「反日」だとでも言うのでしょうか。

もっとも、「抗日記念館」には多少なりともエスニックナショナリズムを鼓舞するような側面があることは、私も否定はしません。ですが、その原因をつくった一端がはたして日本にないといえるのか考えてみるのも、「日本人」にとって必要なことではないかと思います。

こうしてみると、「ナチズム」と「日本帝国主義」は、批判されるべき対象という意味では同じだといえるのかもしれません。ただし、だからこそ「ナチズム」は「ナチズム」として、「日本帝国主義」は「日本帝国主義」として、それぞれ別個に批判されるべきだともいえるのかもしれません。

もっとも、「愛国者」諸姉諸兄が、「大日本帝国は何も悪い事をしていない。むしろアジアのために良い事をしたのだ」と考えるのは自由です。ただ、私はそのような考えには到底賛同できない、それだけのことです。